ウェディングドレスから、リメイク衣装製作まで。「“得意”を生かせることは、なんでもやりたい」

━━ まずは改装完了おめでとうございます! いかにも楽しく魅力的なモノが生まれそうな、すてきなアトリエです。

濱島由香さん(以下、濱島) ありがとうございます。「飯田市起業家ビジネスプランコンペティション(以下、ビジコン)」の賞金を使わせていただき、かたちにすることができました。

ここはもともと、民謡と三味線の師範だった祖母の家でした。せっかくリフォームするならいろんな方のいろんな感覚が刺激されるような空間にしたくて、思い切って多様な壁紙を使った内装にしました。

濱島由香さん。アトリエはゴッホの絵画をモチーフにした壁紙などを用いて、個性的な空間にリフォームした

━━ 今はこの場所で、どのような事業を行っているんですか?

濱島 リメイクや小物づくりも含めて、ファッションに関わる自分にできることはなんでもやりたいと思っています。そのなかでも、主な柱は二つ。一つは東京のブライダルの会社でウェディングドレス制作をしていた経験を活かした、オーダーメイドのウェディングドレスづくりですね。

たとえばこちらも、以前おつくりしたものです。

━━ わあ……繊細で、かつロマンティックなムードがあって、とても素敵ですね。花嫁さんそれぞれの体型にもすごくフィットしています。

濱島 特別な日のものなので、お一人おひとりの願いを叶えるのはもちろん、客観的に見るからこそわかるお客様の個性や魅力に寄り添ったご提案を心がけています。レースの布地一つから選んでいただくことが可能ですし、自分のキャリアのひとつでもあるスタイリストの目線から「お客様の肌色なら、こちらの色味のレースが合うと思います」といったお話もさせていただいているのは前職から続けていることです。

━━ デザインはもちろん、スタイリングの面でもアドバイスをいただきながらウェディングドレスをつくれるのは、新婦さんとしても心強いですね。

濱島 描いたイメージを形にするためのパターンを引くことや、縫製の技術には学生時代から自信があるんです。だからなにより、お客様の好きなものや似合うものがどういうスタイルなのか、ご自身で気づいていただくことが大切だと思っています。

じつは今も、一件オーダーをいただいていて、製作を進めているところで。ウェディングはコロナで開催ができなかったり、自粛された期間が長かったので、動き出したことが本当にうれしいですね。

濱島さんが手がけるオリジナルの帯ベルト「結いおび」

━━ 華やかなアフリカンファブリックが印象的で、かわいいです……!

濱島 うれしいです! しかも締めてみると、このデザインや色づかいが着物にしっくりと馴染んでくれるんです。

「結いおび」を手がけるようになったのは、東京から飯田へ戻ってきたからこそ。「みやえり」の名前で飯田市で活動されている女性に出会ったのが大きなきっかけでした。

彼女と二人で、「もっと簡単に巻けてファッション性の高い帯があったらいいよね」って、盛り上がって。「じゃあ私、つくるよ!」という感じで、イメージも湧いたんですね。

製品化にあたっては、私の主観だけでは一方的になってしまうところ、丈の長さや紐の付け方などについて、着物を着なれたみやえりさんにアドバイスをもらいながらかたちにしていきました。

ふだん着物女子・みやえりさんをモデルにした「結いおび」の着画

━━ 確かに、古典的な浴衣柄にアフリカンの柄と華やかな色使いがマッチして、ぐっとおしゃれ度が増していますね。

濱島 おかげさまで、すでにあちこちで注目していただき、オーダーをいただいています。着脱が簡単なので、たとえば花火大会に着ていって途中で直したくなっても、自分でササッと結び直すことができるから安心です。着物って、着ることそのものも慣れるまで大変ですが、着崩れてしまったときに対処できないということが、ハードルになっていると思うんです。その点、この結いおびならかわいいだけじゃなく、安心して身につけてもらえると思っています。

「結いおび」の装着を実演する濱島さん。「タイトスカートなど、洋服に合わせるのもおすすめです」

「ジャージしか着ていなかったバスケ部女子」が、有名スタイリストのアシスタントになるまで

━━ 先ほどからお話しにも少し出てきていますが、東京ではまず、スタイリストのアシスタントとしてキャリアをスタートされたのですよね。「スタイリスト」って、憧れるけれどどうやってその職業に就いたらいいのかわからないお仕事の代表格のような気がするのですが、そこに至る経緯から、教えていただいていいですか。

濱島 いや、本当にそうですよね。スタイリストってとくに資格があるものでもないですし、どうしたらなれるのかわかりづらいと思います。

いろんな道すじがあると思うのですが、私の場合は高校卒業後、東京の服飾専門学校のスタイリスト学科に通ったのがまず最初でした。

━━ 高校時代から、おしゃれな方だったんですね。

濱島 いえ、その逆です! 私、高校時代は名物監督が顧問をしているバスケ部に所属していて、ほぼ一年中ジャージの生活でした(笑)。髪も短くて、よく男の子に間違えられる、そんな女子高生でした。

でも、ファッション雑誌を見ると、不思議とドキドキしたし、すごく関心を持っていたんですよね。とくに「自分がこんな服を着てみたい」というよりも、「こういう人にはこういう服が似合うだろうな」ということを妄想するのが好きだったんです。

そんな私に、手先が器用だった祖母が、編み物やお裁縫を教えてくれました。だから洋服を作ることは、その頃から好きでしたね。

そんな高校時代をすごして、いざ進路となったとき「スタイリスト」という職業があるのを知って。そういう職業があるんだ!という驚きとともに、その道に少しでも近づけるように専門学校に進むことにした、という感じです。

━━ 通われた文化服装学院(以下、文化)を、優秀な成績で卒業されたとか。

濱島 はい、在学中「ほぼ、オール5」みたいな感じでした。でも、最初学校に通いはじめたときはもう、びっくりすることだらけで。ちょうど前衛的なデザイナーによるハイファッションが流行していた時代でもあったので、文化に通っている子はみんな、自分が着る服にものすごくお金をかけていたし、自分自身が装うことが好きだったんですよね。

それでも私は、クラスのみんなみたいにたくさんの服は持っていないし、買い揃えるお金もない。そもそも自分が装うよりも、誰かに似合う服を考えたり、作るのが好き。そこで決めたんです、「とにかくここで学べることをしっかり学んで、誰にも負けない技術や知識を身につけよう」って。

そんな努力と結果を見てくれていた先生に紹介されたのが、当時から第一線で活躍をしていた、スタイリストの風間ゆみえさんのアシスタントのお仕事だったんです。

━━ ということは先生直々の紹介で、すぐにスタイリストアシスタントになられたのでしょうか……?

濱島 いえ、すぐに決まったわけじゃないんですよ、アシスタント募集には、私を含めて3人の応募があったので、採用試験が課せられました。最初は風間さん、私たち三人に対し「これから3ヶ月間、現場で手が足りなくなったら誰かを呼ぶから、いつ連絡があっても受けられるようにしておいて」とだけおっしゃいました。

それを聞いて私、専門学校を卒業してから3ヶ月の間、両親に援助をお願いして無職の状態になり、3ヶ月いつでも動ける状況で風間さんの指示に応えたんです。たとえば「明日現場に入ってね」などの連絡もすべてお受けし、たくさんの洋服のリースに走り回ったり、いただいた仕事をやり切りました。そして3ヶ月後、晴れて「あなたを採用します」と言っていただけました。

━━ ここでも、精一杯の努力が実ったんですね!

濱島 はい。あとで聞いてみたら他の二人の方は、実家に帰っている期間があったり、予定を入れてしまっていたり、連絡に出られないことが結構あったようで、真面目に3ヶ月まるまるあけて待機していたのは私だけだったみたいなんです。そこを私はやり抜いて、選んでいただけた。本気で挑戦してよかったと思った瞬間でした。

そこからお仕事をさせていただいて気づいたのは、風間さんが第一線で活躍し続けられる理由です。
風間さんは、ファッションの「かわいい」や「美しい」などの本質をちゃんと見抜くことができる方。しかも、なぜそのアイテムがかわいいのか、素敵なのかをちゃんと分析して言えるんですね。だから、カジュアルなコーディネートからドレッシーなものまで、どんなオーダーがきてもみんなが「あ、いいね」って思えるものを提案できる。とにかく忙しかったし、お給料が高いわけでもないし、アシスタントとしての苦労話はたくさんありますが(笑)、そんな方のそばで一流の仕事を見せていただけたことは、一生の財産だと思っています。

ブランドを成長させた体験が、Uターン起業の自信に

━━ その後はどれくらいの期間、スタイリストアシスタントとして働かれていたんでしょう。

濱島 5〜6年でしょうか。最初はアシスタントのアシスタント、というポジションだったところ、最終的にはファーストアシスタントとして風間さんのお手伝いをしていました。そして途中からは並行して、風間さんが立ち上げたファッションブランドのデザイナーをやらせていただくことになり、徐々にお仕事が広がっていきました。

アトリエで、オーダーされた着物リメイクを手がける濱島さん。「手を動かしている時間は楽しいし大好きです」

濱島 私たちが立ち上げから参加したブランドは、最初は狭いマンションの一室で始めた小さなものでしたが、数年かけてラフォーレ原宿や新宿ルミネ、大阪や名古屋にも店舗展開ができるほどのブランドにまで成長しました。最初はお給料が洋服、なんていう感じだったのに、社員旅行でハワイに行けるまでになったんです。

━━ それはすごい!

濱島 ですよね。ブランド立ち上げは風間さん含めてはじめての経験だったので、今思えばびっくりするぐらい初歩のことからメーカーさんにお聞きして、教えていただきながら進めていました。

それが徐々に、街でショップバック持ってくれている方を見かけたり、自分がデザインした服に会ったりするようになって。その広がりが、めちゃくちゃ嬉しかったですね。ブランドが大きくなることによる変化をゼロから体験し、ブランドとともに私自身も成長できたと思っています。そのおかげで次のステップとしてウェディング業界に行こうと思えたし、飯田に帰って一からビジネスを立ち上げる自信にもつながっています。

東京でのデザイナー時代のようす(写真右端から2番目が濱島さん)

ファッションの「困った」「わからない」に寄り添う存在として

━━ たくさんのご経験を経て、飯田に戻ってきたわけですが、今後はどのように活動していきたいですか?

濱島 いろいろ柱がありすぎるかもしれませんが……まず地元では、ウェディングドレス製作にとどまらず、飯田のウェディングをもっと盛り上げたいと思っているんです。

たとえばいま、飯田市って結婚式場が3つしかないんです。だからもう少し、選択肢を増やしたくて。自然豊かなこの土地に合っていて、かつコロナ禍の影響にも左右されにくいウェディングのかたちを作っていきたくて。

━━ ウエディングのロケーションや演出までプロデュースしていくということですね。

濱島 はい。会場からドレスまで、トータルでプランを提案することができたら、きっと地元の人たちも選択肢が増えるし、県外の人たちも来たいと思ってもらえるような場所になると思うんです。少し前に、フリーランスのウェディングプランナー方と一緒に企画書を作って、いくつかの近隣自治体さんに提出をしたところです。

ドレスは私が作れますし、もう一人の今一緒に動いている方は会場設営を含めたトータルプロデュースができる。だから、会場を提供していただけたらと思っていて。机や椅子ぐらいは毎回使えるようなものを用意していただけたらプロデュースするので一緒にやりませんか、っていう企画書を提出して、前向きに検討いただいています。焦らず、でも着実に実現したいですね。

━━ 結いおびや、その他については、どうでしょう。

濱島 まず結いおびは、地元からも発信しつつ、時折地元を出て主要都市で若い世代の反応をみてから海外に出したいなって思っているんです。

直近の販売方法としては、まずイベント等に出店させてもらっての対面販売を基本にしながら、徐々に広げていくところから。現在はイベントでの試着のほか、阿智村でもレンタルで使っていただけるよう置かせてもらっていて、そこからもご注文いただいているんです。

飯田市「南信州天龍峡マルシェ」での出店のようす

━━ それは、うれしいですね。

濱島 ありがたいですよね。みなさんのお声に応えられるように今は在庫を増やしているので、今後は全国各地でポップアップ的に催事出店させてもらいながら、インターネットでも買えます、という流れにしていきたいです。

そのほか、先ほどのスタイリストのなりかた、だけでなく、ファッションに関することって意外とわからないことが多いと思うんです。お子さんが一つの服ばかり気に入って着ているけれどサイズアウトしてきてしまってどうしよう、とか、どこかのチームでおそろいのTシャツをつくりたいけれどどういうボディがいいんだろう?とか。そういう、被服に関わる情報を必要としている方、困ってる方に寄り添って、提案したり、形にするお手伝いができたらいいなと思っています。地元と都市、双方に合った発信や活動を続ける日々のなかで、自分の次の一歩がまた、決まってくると思っています。

━━ ありがとうございました。


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