まず、個性に合わせた心地よい場づくりから

━━まずは「太陽学園」の本格オープンおめでとうございます。ほどよく緑の残る住宅地にあり、施設内も公民館のような、落ち着いた雰囲気ですね。

荒木政吾さん(以下、荒木) 場所探しは苦労しましたけれど、なんとかこの場所に落ち着くことができました。お金もないですし、全部手づくりで環境を整えるところからはじめたんです。正直、オープンしてもしばらくあちこちDIYしていましたよ。

床に座って勉強できる空間
着座での授業スペースも

━━現在はこの場所に、小学校から中学校までの児童生徒が通っていらっしゃる。

荒木 そうです。来る日数や時間はそれぞれですけれど、フリースクール、アフタースクール両方合わせて12名、小学1年生から中学3年生まで幅広く在籍しています。

━━小学校から中学校までの年齢差は大きいですね!

荒木 そう、でも、良いところは、異年齢の関わりができることですね。今の一般的な公立学校は教室内でお兄ちゃんに教えてもらったり、妹や弟的な子どもの面倒を見ることはないじゃないですか。

それがここでは、当たり前のように混ざり合っているから、授業でも生活でも、いい関わりがうまれるんです。

たとえば小学校3年生の子が掃除をしたくない、とサボっている。でも、中学3年お兄ちゃんが率先してやっている姿を見て、「憧れの、あのお兄ちゃんがやっている」と真似する。「掃除しなきゃいけないよ」と先生が指導して行動するよりもずっと自然に、行動を変えていくことができるんです。私たちもそれはすごく、助かっていますね。

━━一方、講師陣はどのような状況なのでしょうか。

荒木 私を含め、9名の講師がいます。しかも教員経験者がほとんどでして、9名中7名が有資格者なんです。これまで私が働いてきた学校の元同僚や先輩の先生も、退職後ここへ入ってくださることになったり、とても恵まれた環境になったと思っています。

━━児童・生徒たちはここで、日中授業を受けるというイメージでしょうか。

荒木 そうですね、フリースクールとはいえ、本学園は文科省の時数をクリアできるようにつくっていますので、トータルでみたら学校の授業数と遜色ないくらいの授業をそれぞれに合わせて行っています。けれど、一つ学校と違うのは、ここは本人がどの日に来てどの時間に帰るかについて、すべて本人に選ばせていることです。いわゆる一般的な学校のように朝から午後までずっと授業が続いて終わりの会までいなさいよ、ということではなく、自分のペースでここにいる時間、学ぶ時間を選択できるようにしています。

━━途中で帰ることで、欠席扱いにはならない?

荒木 ならないんです。じつは先日も、ある不登校支援会議に出席の際に他の参加者から「学校の出席基準はなんですか」という質問がありました。それに対する答えは、「朝、親御さんが車で子どもを連れてくる、その窓ごしからでも顔が見えたら出席です」と。それが現状なんです。

━━それは、まったく知りませんでした。

荒木 「車の中から顔だけ見せて出席にする」、この状況に比べたら、本学園に来ている子どもたちのほうがずっと勉強をしていますし、なにより楽しんですごすことができています。なぜなら、一人ずつの状態に合わせたオーダーメイドのような学習スタイルを組み立てているから。たとえば、字を書くことに苦手意識があれば、まず書き取りではなくカードで漢字を学んでみる。まずはここに来てすごすだけでもいい。そうして心地よくすごすうちに、こちらも驚くほど意欲的に変化する子どもがたくさんいるんです。

施設外観。周囲は自然も豊かな閑静な住宅地で、向かいには畑も備えている

原点は、都市部の学校で感じた違和感

━━荒木さんがここ長野県飯田市で、このような学校づくりに取り組んだきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

荒木 まず、僕は兵庫県出身で、最初は関西で約5年間小中学校の教員をしてきました。そこで感じた現場での悩みがあり、いつか独自の学校を立ち上げたいという思いが募ってきたんです。

とくに、関西での教員生活の最後は大阪だったんですが、たくさんの子どもが集う賑やかな学校であった反面、工業地帯の真ん中だったため学校の横を大きなダンプカーが行き交っていて。こういう環境は、子どもにとっても、そして僕自身にとってものびのびやりたいことができるとはいえないなあと思ったんですよね。

一般社団法人太陽学園代表・荒木政吾さん

荒木 そして、担任を持つなかで、多くの子どもたちがいきいきと学校に通ってくれていた一方、どうしても年間1名から2名、多様な理由で学校に来られない子がいたことも気がかりになっていきました。僕も徐々に、全体をうまく回すことよりも、そこに馴染めなかった子達になにもしてあげられなかった、ということのほうが、心残りになってしまって。

そうしていわゆる「不登校支援」というものに関心を抱くようになり、ここ飯田市からさらに南に入ったところにある天龍村の「学校法人どんぐり向方(むかがた)学園」という学校の存在を知りました。ちょうど、その学校が教員募集をしていたので、思い切って応募し、みごと採用となったんです。

━━なるほど、都市部の公立校での教員生活から、ロケーションも対象もご自身が夢中になれる環境に身を置くべく、長野県へと移住されたんですね。

荒木 そうですね、大阪の街なかの公立校から、長野県の極寒の山中へと、暮らしも仕事も大転換になりました。最初から寮の管理人みたいなものを任されたのですが、来たばかりの子どもたちはとんでもなく荒れていてね。僕も若かったし、もう体当たりで子どもたちと関わりましたよ。お風呂も一緒だし、食事も寝るのも一緒。そんな生活のなかで、徐々に子どもたちと関係性ができてきて、彼らの成長を目の当たりにするようになっていったんです。

そこにいる子どもたちは、背景としていわゆる学習障害を抱えている子も多いのですが、「苦手があるだけでできないわけじゃない、思いは伝わる」と、だんだんと彼らへの自分のイメージも変わっていきました。実際に成長し、巣立っていく様子を目の当たりにして、「これは大変だけれど大きなやりがいがある」と改めて感じることができました。

━━どんぐり向方学園時代に印象に残っているエピソードはありますか。

荒木 たくさんありますね……。たとえば、そこは中高一貫校だったので、進路指導のようなものも担当していたのですが、「まったく夢がない」というある生徒の声を聞き、じゃあまず現場を知ろうよと、職場体験をすすめたんですね。すると、車の整備工場での体験が、一人の生徒にみごとにハマって。「俺は整備士になりたい」と、授業にも前向きに取り組むようになり、今ではもう、大手自動車会社の整備士をしていますから。

地元の学校で何も楽しみを見いださず、暴力など問題行動を起こしていた子たちが、少しのきっかけから変わっていく。その様子を目の当たりにすることが、自分にとっては何にも変えがたい喜びでした。その一方で、まだまだ世の中にはもっとたくさんの、生きることに苦しんでいる子どもがいる、なんとかしたい、という思いにもなりました。

その後、僕は長野県の公的な支援も知りたいと同じ南信州の公立校に移ったのですが、やっぱり公立でできるシステムって限界があると再認識した日々となりました。親御さんたちから「先生、公的な機関のことはもう教えてもらった、そこは無理、もっと他に選択肢はないの?」と言われて。やっぱり自分がつくるしかない、と、思いが固まってきました。

「座る」「聞く」「書く」、学校教育の常識を外してみる

━━子どもたちは、今の一般的な学校のどのような環境に通いづらさなどを感じていると感じますか。

荒木 やはり学校は大勢の人が集いますから、一人ひとりというよりは、全員の平均的な能力に合わせて1日を作っていきますよね。その「平均」をつくるために必要なものは何かというと、「座る」こと、「聞く」こと、「書く」こと。この3つが揃えば、いわゆる一斉授業は成立します。

けれど、とくに学習障害を含む発達障害を抱える子どもたちが苦手とするのが、まさにその3つなんです。それで叱られる、否定される、実際にできないから行きたくなくなる……。もちろん、さまざまな工夫をしている公立学校もありますが、まだまだその「枠」に収まらない子どもが行きにくくなってしまうのが現状ですよね。

しかし、先程申し上げたように、本校のカリキュラムは一人ひとりのオーダーメイド的な形ですし、まず、ここに来られることでマルになる。そして、施設内にとどまらず、外に行く時間もたくさん設けます。不思議と室内よりも野外で落ち着きを感じる子も多いんです。ダーっと走っていって危険を感じるときもありますが、僕たちが気づかないような場所で化石を見つけてみたり、そのあたりに生えていた笹でパパッと笹舟をつくって水に浮かべてみたり、「へえ、そんなことができるんだ、すごい!」と思わぬ才能に気づくチャンスが、屋外での時間にはあふれているように感じています。

━━それも一つの学びの入り口ですよね。

荒木 そうなんですよ、化石を調べれば理科になるし、笹舟は図工かもしれない、浮力を知るなら理科ですね。本当は、学びにつながる興味を持っている子どもなのに、公教育の現場では授業に座っていられないために「1」の評価になってしまう。地図記号だって、黒板に書いてみせるだけではピンとこなくても、実際の街の看板があるところに歩いていってみると、いきいきと学ぶんです。そういう時間を、ここでは大切にしたいと思っているんです。

施設に隣接する畑

荒木 そうそう、最近は、学園の前の空き地を活用して、畑づくりもはじめました。全員に、何が食べたい?と聞いて、苗を買ったり、種をまくところから。「きゅうり!」「トマト!」「メロン!」「え、メロン!?」って、何を植えるかからみんなで考えて。できなくてもいい、とりあえず希望のあるものは全部用意して畑に植えました。夏には保護者の皆さんや地域の方にもお声がけをして、収穫祭を行う予定です。

生きていればいい。「いろんな道がある」こと、伝えたい

━━お話をうかがって、なによりもこれまで居場所がないと感じていた子どもたちがホッとすごせる場所がここに誕生したことが、なによりもよかったと思いました。

荒木 ありがとうございます。ご両親も、本当に心配だったと思います。家にいれば、ずっと動画を見て、ゲームをして、暇を潰してなんとかやりすごすことはできてしまう時代だと思うんです。けれどせっかくの時間を、もっといろんな可能性を伸ばしていくために使っていけたらと思っています。

━━ここに来た子どもたちに、どんなふうに育ってもらいたいですか?

荒木 成績が良くなってほしいとかじゃないし、人と比べなくてもいいんですよね。自分なりの、自分の中で納得ができればそれでいいんじゃないのかなと。子どもの自殺が後を絶たないこの時代にあっては、もはや生きていてくれたらそれでいいじゃないですか。

そしていつか、人が決めた自立じゃなくても、ある程度自分で自信をもって社会に出ていけるような人になって欲しい、それが私の願いですね。

私自身も今こうやって喋ってる感じで分かると思うんですけど、そう型にはまってないと思うんですよ(笑)。じつは僕、父が地域で有名な剣道の指導員で、勉強もろくにせずとにかく剣道だけを極めて大学に進んだ、そんなタイプです。型にはまったタイプの人にはなれなくたって、こういう人間だって生きてるじゃん、この辺りの言い方で言えば「何とかやっとるに」、って、そういう姿を見てもらって、ラクになってほしいです。

━━たしかに、進学の方法もじつはいろいろあるし、大人になるとなおさらいろんな人が、いろんな生き方をしているけれど、子育てに夢中になっているとつい、「いま学校に行けなかったらこの先は」と不安がまだまだぬぐえない気もします。

荒木 そう、でもね、たとえば高校に行けなかった子でも、いまは16歳以上なら一年の勉強で、「高卒認定試験」というものが受けられます。現在のところ選択問題ですから、文字を書くのが苦手でも努力すればチャンスはきっとあります。そしてもちろん、それが受かればその先、大学受験の資格だって得られるんです、希望すればね。

いつからでも、どんな形でも、自分がめざす道を歩いていける。そういう「情報」をご家族にお伝えすることも、僕たちの役割だと思います。

おかげさまでこの地域の皆さんとの関係性も育まれてきて、とても応援していただいています。最初は「一体なにがはじまるんだ?」と不安だったと思うんですが、今ではすっかり見守ってくださっていて。ここ飯田で学校が開けて本当に良かった。まだまだはじまったばかりの学園ですが、ぜひこうした場を必要とする方に知っていただけたらと願っています。いつでも、お待ちしています。

━━ありがとうございました。


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