みなさん、こんにちは。I-Port.biz 編集部の渡邉です。
リレー形式で編集部メンバーが自己紹介をしていくこちらのコラム、第4回目は私、渡邉の番です。飯田に来た当初は自己紹介をよくしていたのに、2024年で移住7年目を迎えた今、自己紹介する機会がめっきり減りました。この機会に、改めて内省も兼ねて書いてみたいと思います。

個人事業主だらけの家庭に生まれ育って

私は2024年現在、31歳で移住7年目を迎えます。出身は神奈川県横浜市。彫刻家の父とバレエダンサーの母のもとで生まれ育ちました。こう書くと、さぞ芸術的な環境だったと思われるかもしれませんが、幼少期の私には両親は芸術家というよりも「サラリーマンの友達の親より自由で楽しそうに仕事している人たち」という印象でした。
特に実家のバレエスタジオで働く母や、当時家で洋服の仕立て屋をしていた祖母が昼時に駄弁りながらご飯を食べる様子を見て、「学校に行かなきゃいけない自分と違って、家で楽しく過ごしているのが羨ましい」と感じたものです。振り返ってみると、この「自由で心地よく仕事している」姿が、今の私の働く環境にも強く影響しているように思います。

俺はサラリーマンになってやる!暗黒の迷走時代!

思春期になると、自分と友人たちのバックボーンの違いに悩み、反抗期を迎え、「俺は家族と違ってサラリーマンになってやる!」という謎の目標を掲げました。その思いは大学生になっても続き、卒業後には貿易商社に就職しました。
部署異動の多い会社だったので、多様な人との出会いや様々な経験ができ、充実した毎日を送っていました。しかし、一方で「何かを考えたり作ったり」する部分が活かせていない気がして、次第にモヤモヤし始めました。悩み抜いた末、大学で学んだビジネスの5ヵ年計画を参考に、人生の計画を立てることにしたのです。これが飯田への移住のきっかけとなりました。

計画策定!地域おこし協力隊へ!

計画の中では以下のような項目を立てました(当時のメモから抜粋)。今考えると洒落臭え!って感じですが、当時は大真面目にやっていました。

内容的にはもう少し書き込んでありましたが、恥ずかしいのでこれくらいにしたいと思います。とにかくこのような計画をもとに会社を辞めて、地方でフリーランスデザイナーを目指すことにした私は「3~5年の準備期間」と「人脈」を得つつ、地方創生にも関われる仕事を探し、「地域おこし協力隊」という制度に辿り着きます。「地域おこし協力隊」についてはご存じの方も多いと思うのであえて書きませんが(気になる方はこちらで)、ざっくり言うと「移住して、3年間地元の方と協力しながら地域活性化しつつ地方での定住基盤を確保してね。」という制度です。

私はいくつかの市町村から、地域の発展性が期待でき、募集に使われていた写真の景色が気に入った飯田市を選ぶことにしました。

なにかと頭が痛かった協力隊時代

協力隊では、シビックプライド(地域や自治体への誇りや愛着)の醸成を意識し、色々な場所に顔を出して酒を飲んだり、地域の子供達の情操教育のためにヤギを飼ってみたり、地域の花見で酒を飲んだり、移住希望者へ空き家の斡旋をしまくって地区の人口を2%増やしてみたり、地域の慰労会で酒を飲んだりと、とても忙しかったです。初年度に関しては年間180日ほど飲み会に顔を出すというとんでもない記録を樹立しました。おかげで顔を覚えてもらえたので、よかったです。

協力隊時代に仲良くして頂いた方の目には酒ばっか飲んでいるように映ったことでしょう。すみません。

そんな生活をしながら空いた時間にはデザインの勉強や依頼をこなしつつ任期の3年間を過ごして、2020年に念願叶ってフリーランスデザイナーとして独立することになりました。

独立してからと今後

コロナ禍もなんとか乗り越え、多くのお客様に恵まれ、早いもので開業からそろそろ5年が経ちます。お仕事でビールのラベルを作るなど、大好きなお酒にも関われて充実しています。これからもスキルと経験をさらに積み、自分にとって「心地よい」場所を模索しつつ、デザインの枠を超えて面白いことに挑戦していきたいです。これまでお世話になった皆様、そしてこれからお会いする皆様、今後ともどうぞよろしくお願いします!

一応お仕事紹介↓(なんとなく載せられるものだけ載せています。)

https://kakku.design

http://www.satomachigraph.com/

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