
編集部のメンバーが自己紹介をするリレーコラムvol.5は、普段はおもてに名前の出ない、宮澤が担当します。どうも、ハジメマシテ。
I-Port.bizでは、サイト全体の制作やシステム管理、そしてニュース記事を隔月で担当しています。
生まれは松川町。本業は、Web関連のソフトウェア開発をする会社の代表をしています。
いろんなことに興味がありすぎて、いつも自己紹介に困るのですが、AIによって多くの仕事がなくなると騒がれている今、自分が何に興味をもってこれまでやってきたのか、原点を意識するって結構大事だと思うので、まずは生い立ちから書いてみます。
クリエイティビティの原点「ラジカセ」
10代の頃は音楽スタジオで働く技術者になりたくて、音楽大学で音響技術を学びました。原点は、子どもの頃、父が果樹園にいつも持っていくラジカセ(ラジオカセットレコーダー)はマイクで録音もできることを知って感動したこと。テレビのスピーカーに向けて好きなアニソンをよく録音していました。録音ボタンの押し方を工夫するとノイズがなく曲がスムーズに繋がったり、子どもなりに工夫していました。
音大を卒業して同校のTA(ティーチングアシスタント)を務めた後、教授の紹介であるアーティストのプライベートスタジオで働くことになったのですが…思っていたのとは違う過酷な環境…コロラドの山奥、4月になっても2メートルを超える雪が積もり、クマが出没し野ウサギが目の前で血みどろの死闘を繰り広げる大自然。夏はひたすら草刈り、冬は除雪作業。家主が長期不在のときは一人で2ヶ月留守番…。当時すでにインターネット方面へ気持ちが傾いていたことや、いろいろあって、約一年でドロップアウトしました。思えば、あれが人生ではじめての挫折でした。
今につながる仕事道具『WordPress』
失意のどん底で帰国して間もなく、友人が声をかけてくれて地元の小さな出版社で働くことになりました。出版本のレイアウトや、当時まだ珍しかったデジタル映像編集、タッチパネル式観光案内システムの構築など様々な仕事をやらせてもらいました。
でも、今の仕事につながる大きな軸となったのは、フリーランスになってから触った『WordPress』というWebサイトを構築するソフトウェアです。「これを使えば、口コミサイトでも何でも自分でつくれる!」と、夢中で触りました。コミュニティ活動にも関わりながら、当時一緒に仕事をしていたプログラマーと関連ソフトウェアの開発・販売を始め、やがてメインの事業になりました。現在は法人化し、これまでに国内1,200社に販売/サポートを提供しています。
“他人とのスキルの差”では稼げないAI時代
最近になって、風向きが変わってきました。
AIに頼めば、初めてのことですら誰でも瞬時に80点の答えを得られる時代には、技術者はもはや(従来強みであったはずの)他人とのスキルの差では稼げなくなります…これまで膨大な時間を費やして磨いてきたスキルの差はAIが埋めてしまったからです。
この先、どう稼いでいけばよいのか?
もちろん、AIは活用していくのですが、それとは別に関心を持ってチャレンジしていることがあります。それは、自分が所有しているコンピューターの計算能力やネット回線の余剰分を、AIのプロジェクトにブロックチェーン経由で貸し出すことで収入を得る、ということです。手元のパソコンはいつも100%使用しているわけではないですからね。つまり、AIに争うのではなく、AIを助ける。そうして得られるパッシブインカムがあれば、稼ぐための仕事よりも、自分が本当に興味があることやライフワークなどに、より多くの時間を使えるようになるかもしれない。
プロデューサー/評論家の岡田斗司夫さんが、昔の講演動画の中でこんなことを言っていました。
「これからの時代、誰もが50種類の仕事をするようになる。その中にはお金をいただく仕事、お金はもらえないけどやっている仕事、さらにお金を払ってでもやる楽しい仕事。単職から多職の時代へ…(意訳)」
動画: 同志社大学講演「私たちは生涯、働かないかもしれない」岡田斗司夫クロニクル2011.10.16
https://www.youtube.com/watch?v=O2i-aKtdDq8&t=3056s
AIを手にした今なら、いよいよ可能な世界線なのではないでしょうか?
今から15年後の2040年は、どんな暮らしを送っているのだろうか…
2040年。AIが多くの知的労働を担うようになり15年ほどが経った。仕事を失った都会人たちは地方に移り住み、耕作放棄地を自ら耕し食料の半分程度は自給している。AIが作り方をすべて教えてくれるし、畑に設置したセンサーのおかげで自宅からリアルタイムにモニタリングできるから、様子を確認しつつ他のことに時間を割ける。重労働だった草刈りと消毒も今は半自動化され、かつての掃除ロボット並みにはうまくこなしてくれる。畑の頭上にはソーラーパネルが等間隔に設置され、作物と発電が太陽光を分け合っている。発電した電力は畑の一角にあるコンテナに送られ、その中で稼働するGPUクラスタとブロックチェーンのノード(端末)の電力を、ほぼ100%賄えている。今では誰もが自分専用のAIエージェントを従えて、GPUクラスタを使って育てている…かつてスマートスピーカーに今日の天気を聞いていたのと同じぐらいの気軽さで。GPUが空いているときは貸し出せば収入にもなる。本業はというと、AIが登場し始めた頃はプログラマー不要論のようなものが広まったこともあったけれど、今でもプログラマーの仕事はなくなっていない。“AIの尻拭い”なんて言うとAIエージェントたちに怒られるけれど、つまり、AIの時代にもAIならではの仕事が変わらずプログラマーを苦しめ、そして新たな技術の習得に駆り立てる…それは稼ぐためというより、“好奇心”に突き動かされて。結局、時代が変わっても、好奇心に駆られてコードを書く自分がそこにいる。
…こんな未来物語を妄想しています。
「I-Port.biz ハジメマシテ、飯田」にもつながる、2016年のプロジェクト「飯田市プロジェクト研究」に参加したときに抱いていた思いは、「自分が生まれ育った街が、住み続けたいと思えるクリエイティブな街であってほしい。その街で、当たり前に世界を相手に活動していきたい」というようなものでした。
クリエイティブな街とは、創意工夫をして好きなことに本気でチャレンジする人たちが多い地域だろうと考えます。AIがその実現のための強力な助っ人になってくれることに期待しています。


これまでに経験したピンチ TOP3
最後に、私がこれまでに経験したピンチな出来事TOP3を紹介します。
その一、凍傷で指を落としそうになる
音響エンジニア時代。真冬の標高3,000mを超えるスタジオの外はマイナス20度。除雪作業中に凍傷になり指が真っ黒に。あやうく指を落としそうになった。あの時介抱してくれたおばあちゃんにきちんとお礼を言えなかったのが心残り…。
その二、人生で二度、血を吐く
最初は音響エンジニア時代。いろいろ重なりストレスは最高潮に達し、制作現場で吐血。みんなをサポートするはずのアシスタントがみんなを焦らせるという失態をやらかしました。二度目はフリーランス時代。精神的にヘビーな仕事が重なった上にイベントの実行委員まで引き受けた結果、吐血、緊急入院。大きな胃潰瘍ができていました…。
その三、1000万円の未回収金
Webの仕事からちょっと逸れて、ある雑誌の制作を丸ごと請け負ったことがあります。立ち上げ時は大変だから支払いは後回しでいいよ、などと人の良いことを言っていたら、一年も経たずにプロジェクトが立ち行かなくなり、やがて経営者も音信不通に。お金がなくなり、一時期本当に苦しい生活を余儀なくされました…。
その四、五もあるのですが長くなるので割愛。いやー、我ながら結構な傷を負ってきたなと思いますが、これからも傷を負うことはあるでしょう。だって、人生100年時代。まだ折り返したばかり。
チャレンジを続けよう、好奇心の赴くままに!
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