イギリスをはじめとする欧米諸国で今、社会課題を解決するための手法として「ソーシャル・インパクト・ボンド(以下、SIB)」が、注目を集めている。
医療や介護、教育などの分野における社会的課題を解決するために有効であると、近年日本国内でも導入が進んでいるが、ここ長野県飯田市でSIBを活用した新たな事業を始めようとしているのが「ネクサスラボ株式会社」だ。
これまでに大学などの研究機関と連携し、介護・健康関連のデータ収集・分析を手がけてきた同社。研究者の顔も持つ代表取締役の宮國康弘さんはそのノウハウを生かし、高齢化により増大する社会保障費の抑制に向けて「SIBを活用した介護予防事業」を飯田市に提案。昨年、飯田市で発足した新事業創出支援組織「I-port(アイポート)」の認定を受け、SIBの普及とともに、地域での将来的な介護保険サービス費の削減をめざしている。
2025年には団塊の世代が75歳を迎え、国民の約5人に1人が後期高齢者となる「超高齢化社会」がやってくる。地方都市・飯田から大きな社会課題に挑む、若き経営者に話を聞いた。
人と資源を結ぶ「つなぎ目」に。地方都市・飯田から社会的課題解決の道を切り開く ネクサスラボ・宮國康弘さん
「現場」との距離のジレンマが、
起業のきっかけに
——もともと研究の仕事をされていますが、なぜ飯田で起業しようと思われたのでしょうか?
宮國康弘さん(以下宮國) 妻の実家が飯田にありまして、結婚を機に7年前からこちらで暮らしています。現在は千葉大学予防医学センターに所属して研究の仕事を続けているので、週に1度、千葉に通う生活を送っていますが、拠点はやはり、ここ飯田。ならばこの地で何かできないかと考えて、会社を立ち上げました。
——大学ではどんな分野を研究されているのですか?
宮國 地域づくりによる高齢者の介護予防を推進するための研究を進めています。例えば「住民同士の交流が盛んな地域は、寝たきり(要介護状態)や認知症の発症率が低い」というように、全国の市町村でデータを集めて検証しています。ただ研究職は論文を書くことが求められる仕事なので、研究成果が出てもその成果だけでは、支援を受けるべき人のところに、直接届けられるわけではない。そのことに常にジレンマを感じていました。
以前から、高齢者が元気で暮らしていけるための介護予防・認知症対策や、子どもの貧困などの社会的課題をビジネスで解決できないだろうかと考えていたので、だったら「自分で事業を起こすしかないな」と。
——青年海外協力隊員として働かれたご経験もあるそうですね。
宮國 はい、もともと大学では公衆衛生学を学んでいまして、卒業後にバングラデシュで2年間、「フィラリア症」という感染症の対策に取り組みました。
ただ協力隊として活動する中で、「自分がやっていることは、本当に意味があるんだろうか」と、もどかしさを感じていた時期もあって……。効果があることを証明するためにはどうしたらいいのかと思い悩んだ末、「データで検証する」という方法があることに気づいたんです。
データを取ることに興味を持ち始めたのは、その頃ですね。帰国後は今までの活動を振り返る意味も含めて、大学院に入学し、専門的な知識を身につけていきました。
社会課題を解決する新たな仕組み
「ソーシャル・インパクト・ボンド」とは?
——今回の事業は「ソーシャル・インパクト・ボンド」という新しいビジネスの手法を取り入れている点でも注目されていますが、SIBとはどんなものなのか、説明をお願いします。
宮國 SIBの仕組みを活用すると、介護、医療、子どもの貧困などといった社会的課題を解決し、将来かかると予想されている社会的コストを削減することができます。
こうした分野では、行政も、事業者であるNPOなどの民間企業も「課題を解決したい」と思いながら、国からの十分な予算がなかったり、資金がうまく分配されないことが原因で、資金難に陥りがちです。しかし一方で、金融機関や民間投資家の中にも「社会問題を解決したい」と考える人たちがある一定数存在することがわかってきました。
そこで、「行政、民間企業、そして投資家の人たちをうまく連携させれば、お金の流れがよくなり、しかも課題も解決できるんじゃないだろうか」と考えたイギリスの行政が、2010年に始めた社会投資ビジネスの仕組みです。
——行政と民間が連携してチームを作り、一緒に課題解決に向けて取り組むということですね。
宮國 はい、その中間支援組織としてそれぞれの機関をつなぎ、資金調達からプロジェクトの管理、そして事業成果の評価を支援する役割を担うのが弊社です。
——SIBは日本でも普及してきているのでしょうか。
宮國 私自身、SBIを知ったのは3年前なんです。日本でもヘルスケア分野で注目され始めていて、昨年、八王子市と神戸市で運用が始まりました。経済産業省でも、社会的課題解決の有効な手段として、SIBの導入を推進しています。
——そして今後、飯田市でも介護予防の分野でSIBを取り入れていこうと。
宮國 はい。ただ、まだ今は行政へ働きかけをしている段階です。それに行政、民間企業・NPO、個人・機関投資家など関係機関が複雑に関わる仕組みなので、各機関でのきちんとした合意が必要になるため、事業開始にはまだ数年はかかるかなと。講演会を開催するなどして、まずは飯田を中心にSIBの仕組みについて知ってもらうきっかけ作りから始めてみたいと思っています。
自分はどちらかというと
地域に分け入って行きたいタイプです(笑)
——宮國さんは、ご出身が沖縄の宮古島だそうですね。飯田は海のない山国、暮らしてみていかがですか。
宮國 長野県全体でいうと飯田は暖かい方だと思いますが、やっぱり、寒いです(笑)。あと、ここに来ていちばんよかったのは、四季が感じられること。沖縄で暮らしている時はそういう感覚はありませんでしたが、春はイチゴ、夏はモモ、秋になるとリンゴが出てきて「これを旬というんだな」と。
——地域の活動にも積極的に参加されているとか。
宮國 ご近所同士で構成されている「隣組」は不思議ですね。近所で集まりが定期的にあるというのは沖縄にはない文化なので、飯田市の住民ネットワークは興味深いなと思います。私の研究テーマが「人のつながり」なのですが、飯田市における人々のつながりが、住民の暮らしや健康にどう影響しているのかというのはとても関心があります。
実はこの数年間、地域にまだ馴染めていない感覚があったんです。飯田市で生まれ育ってはいないので、地元のネットワークは全くなかったですし。ただ、たまたま「隣組」のご近所の方が、「沖縄からきた若いのがいる」と、地域のソフトボールチームのメンバーに伝えてくれました。地元の方々との交流が始まったのは、ソフトボールチームに入ったことがきっかけでした。そこのメンバーは、地域の壮年会活動や消防団に所属していたり、小学校のPTA活動や部活動のコーチもしていたり。こういった地域で活躍しているチームメンバーが誘ってくれたことがきっかけで、今は、地域の壮年会や消防団にも所属しています。こうした方たちが地域を動かし、地域社会を作っているんだなと肌で感じます。
「人々のつながりと健康」を研究してきたので、「地域に出て、人々とつながることが大事ですよ」と伝える機会は多いです。ただ、それを言う私自身が、地域社会とつながっていないと、なんだか言葉に重みがないというか。家族を持ちながら、仕事もしながら地域とつながるって、それなりに苦労することも少なくないですからね(笑)。やはり地域に実際に入ってみないとわからないことも多い。そう改めて実感しています。
——地域の中でも何かデータが集められそうですね(笑)。
宮國 ようやく地に足がついてきたなというのは、ここ最近感じています。今は地域とつながるきっかけとなったソフトボールチームの代表もやらせてもらっています。
人と人、地方と都市部がつながる
可能性を秘めた飯田の未来
——今後、飯田の介護の分野で、具体的にどのような取り組みを構想されていますか。
宮國 研究職として今私が専門に取り組んでいるのは「地域の会や趣味の会に参加しているか」「友人や知人と週に何回会っているか」「愚痴が言えたり、助けてくれる仲間がいるか」などを含めた社会関係の調査を通して、「人々のつながりが豊かな地域では、要介護状態や認知症発症が低いのではないか」ということを検証していくもの。今後、飯田市でも調査してデータを収集して、飯田市の高齢者の実態を明らかにしていくことはやってみたいと考えています。こうしたデータ活用は、高齢者に限らず、成人の健康増進や子育て支援の分野でも展開可能だと思っています。
それに、飯田市はリニア中央新幹線が開通する10年後には、名古屋まで20分、東京まで40分で行ける距離になります。都会に住む人たちの中には自然環境が豊かな場所で子育てをしたい人も多いと思うのですが、今はどこにいてもインターネットでつながることのできる時代ですから、今後、仕事は東京、暮らしの拠点は飯田、というケースも増えてくると思います。飯田市の牧野市長も言っていますが、都会で高度な知識なりスキルを持っている人たちが、飯田を拠点に新たなビジネスを起こす。そんな流れにシフトしていくのではないでしょうか。飯田で起業する人が増えれば雇用も生まれ、人口増加のきっかけにもなる。それが、飯田市が持つ可能性の一つだと感じています。
——宮國さん自身、都市部と飯田で仕事を両立させ、地方での子育てをすでに実現されています。最後に、会社の未来像を聞かせてください。
宮國 社名のネクサスは「つながり」、ラボは「拠点」という意味を込めました。さまざまな機関、人、お金やデータもそうですが、いろんな資源同士を結ぶ「つながりの拠点」となれるような会社にしていけたらいいなと思っています。