飯田公民館劇場にて。音響と照明の操作を1人2役で担当することもあるそうです。

美容師はいろいろな職業の方と出会える仕事です。今回もあるお客様からのご縁でステキな方とお話ができましたので、皆さんにも是非ご紹介したいと思います。

今回ご紹介するのは竹村清さん。音響界のパイオニアとして数多くの経歴を重ね、現在は飯田文化会館、飯田公民館の音響を担当する傍ら、高校生やアマチュアの方に音響技術や知識を伝え後進の育成にも力を入れていらっしゃいます。そんな竹村さんに、これまでのお仕事の話や飯田への思いなどについて語って頂きました。

「通り町」で生まれ育ち大学で神奈川へ。時代の波に乗り、数々の大舞台を経験

竹村さんは、飯田市の中心街である「通り町」で生まれ育ち、神奈川県の大学へ進学し電子工学を勉強していました。大学卒業後、趣味だった音楽で譜面が読めることと電子工学の知識から、ディレクターからすすめられて音響(ミキサー)の仕事を始めたそうです。ヤマハレコーディングスタジオに入社し、5年勤務しました。

経済的にも右肩上がりだったその頃から、日本でも音響の仕事が少しずつ注目されるように。しかしはじめは、世の中に無い仕事だったため、洋書を訳して独学し試行錯誤していたそうです。

それまで、音響の仕事というと会場に設置してある機材をその会場のスタッフが操作するのが主流でしたが、音質にこだわると、外部から足りない機材を持ち込んで音響のスペシャリスト『PA』が機材を操作する事が必要となります。

そこで、ヤマハレコーディングスタジオでの経験を活かし、仲間5人と渋谷の東急ハンズの隣のビルに音響の株式会社VIRGOを設立。1980年のことでした。

当時音響スタッフとして関わったアーティストはジェームスブラウン、マービンゲイ、レイパーカーJr、クルセイダーズなどなど、そうそうたる面々。

ジェームスブラウンと言ったら “ファンクの神様”でありエンターテイナー。しかし、これほどのスターでも、黒人のアーティストは時代背景からか、海外ツアーを行う際にアジアをまわる時に音響のオペレーターは同行しなかったそう。そんな時に白羽の矢が立ったのが竹村さんの会社でした。

 

フリーランスへ転向し、新たなスタイルを確立

年功序列で仕事をする当時の一般的な企業体質に違和感を覚えていた竹村さんは、会社を設立して10年がたったころ、音響の仕事をもっと自由にするために友人に経営を任せてフリーランスで仕事を始めました。

音楽座のミュージカルの音響プランニング、松岡直也&ウィッシング全国ツアー長きにわたって担当し、その他にも、世界陸上、世界水泳、国体などスポーツ大会の開会式や、数々のアーティストの全国ツアー、武道館コンサート、ミュージカル、演劇などなど、僕には想像も付かないくらいの大舞台の音響を担当してきたそうです。

さらに、天皇陛下が海外のご公務へおでかけの際、空港の滑走路でご挨拶をされる時の音響を担当されたという竹村さん。

最初は緊張のあまり、1本のフェーダー(音響を操作するツマミのこと)を動かそうにも「手が動かない……」。

「心臓に毛が生えた僕でも緊張した瞬間でした」と、当時を振り返ります。

ジェット機のエンジン音でお声が消えないよう、竹村さんが用意したのはなんと、ダムでサイレンを鳴らす超特大スピーカー。この、前例の無いアイディアで無事、大役を務め上げたそうです。

天皇陛下の間近で仕事をしていて「常に国民のためを想って行動するお方で、こんなに素晴らしい人には出会ったことが無い」と感じたそうです。

 

話す言葉の母音も子音も明瞭に聞こえるように、マイクで実際に声を出して確認しています。

 

シンクロナイズドスイミング界を変えた、水中の音響

シンクロナイズドスイミング(現在ではアーティスティックスイミング)日本水泳連盟の依頼でプールへ行った時のお話もしてくださいました。

当時のシンクロはプールの壁に音を吸収する吸音材がなかったため、プールのある室内には5秒程度残響があったそう。そのため、コーチがプールのふちをスプーンで鳴らし、選手たちはその音でカウントを取りながら演技をしていたのです。

竹村さんが呼ばれたのは、まさにこの残響をなくすため。竹村さんも「選手たちに音楽を聞かせて演技をしてもらいたい」長い歳月をかけて水中の選手たちにも会場と同じ音が伝わるようにと研究を重ねました。

しかし、5年間研究しても、どうしても音が残ってしまう。6年目から研究の成果が出始め音楽を拡声することに成功。国際水泳連盟(FINA)の会長から「パーフェクト!!」というお褒めの言葉を頂いたそうです。どんな難しい仕事も考えに考え抜いて悩みつつも成功に向かっていく、竹村さんの姿が目に浮かびました。

 

飯田への想い、そしてこれからの子どもたちへ

最後に、飯田への思いをメッセージとして語っていただきました。

「今、飯田市の発展のために重要な時期にさしかかっていると思います。伊那谷は、素晴らしい自然、空気、水など環境が整っている場所です。とくに子供達を育てる環境としては、最高だと思います。

この素晴らしい環境に生まれ育っていく子供たちには、心に響く“いい音”を聴かせてあげたいと思っています。いい音とは、音楽だけではありません。周りの大人たちの言葉づかいや、口にする想いを子どもたちは聴いています。是非、これからの飯田市を背負っていく大切な子どもたちに、語りかけてあげて下さい。ステキな音楽や舞台を観せ、様々な体験をさせてあげて下さい。」

竹村さんのお話を通して、試行錯誤し挑戦し続けることで得られる感動と面白さを感じました。興味深いお話が多く、まだまだ聞き足りないですが、文章化できたことを嬉しく思います!!

後進の育成にも力を入れていると伺い、竹村さんの近くで「人を感動させる音楽」を感じ取った次世代の若者が、日本の音響を支えていく人材になるのが楽しみです。

「人を評価することに走る時代の今こそ、評価するより、挑戦していって欲しい。飯田の人は元々演じることやお祭りが好きなはずだから、みんなで盛り上げて行って欲しいです」という言葉が印象的でした。

今回のスタイリング

竹村さんの渋さやアーティスト感を出すイメージでカットしました。少し長めに残しメガネをかけたことも考慮して毛流れをやや後ろに流しやすくしました。

かっこよく歳を重ねた中高年男性には、「形状記憶ケラチン」配合のスタイリング剤がおすすめ。スプレーやワックスで固めると毛穴の詰まりが気になりますが、このスタイリング剤なら乾かすことで熱に反応し固まるのでベタつかず、根元から髪を立ち上げてスタイリッシュに決まります。

劇場の客席でスタイリングするのは新鮮でした。

これまで幾多の舞台を経験してきた竹村さんと知り合えた事を記念にツーショットを撮らせて頂きました。

お客様が舞台に集中できるように、スピーカーのバランスを調整したり、時間差をつけたりと細かい所まで注意を払っているそうです。長年使われてきた機材だからゆえ、竹村さんの経験や感性が生きているのだなと感じました。

(右)熱に反応して形状記憶をするケラチン配合のブロー材
(左)スタイリングジェリー

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テキスト/北村崇綱 写真/内山温那 撮影場所/飯田公民館