自分たちにとっての「理想」をデータ収集したら、飯田市が見えてきた

――こちらの家に住み始めてどのくらいですか。

髙居覚さん(以下、髙居) 2年半くらいです。2023年の8月に有楽町の移住セミナーに参加して、その後すぐに飯田市に来て、2度目に来た際にはもうこの家を契約していました。

――それは、即断即決ですね。

髙居 そうかもしれません。ただ、飯田市の存在を知り、「ここだな」と決める判断は早かったんですが、じつはそれまでに2年ほど移住先を探していたんですよ。

 どうやって探していたかというと、まずは条件先行。「農地と宅地がセットになった自給自足ができる場所であり、東京から通える場所」という条件を定めて、これに合う場所はないかと地図とデータを集めてひたすら調べました。そこでわかってきたのが、農地と宅地がセットになった、現実的な金額の家はある。しかしそこに、「東京から通える」という条件をクロスさせると、ハードルがとても高くなるということ。そこで「東京から通える」の範囲を少し広げて、探してみたら候補にあがってきたのがここ、飯田市でした。


ーーなるほど、視野をちょっとずらしてみたんですね。

 ですね。でも、逆にいうとそれ以外の条件はとても良い感触があったので「5時間以上かかるのか。でも行ってみよう」と。そしてこの土地が見つかりました。リサーチ期間でしっかりとコンセプトを固めていたので、8月に飯田市と出合って、その翌月には決めることができたという感じです。

ーーどのようなデータを集めていったのでしょう。

髙居 今お話した「積極的条件」だけでなく、国土交通省の情報などを参考にして、地震や土砂災害のリスクも調べました。妻が飛行機やヘリコプターの音が苦手なので、条件のレイヤーにそれらの飛行ルートを調べたりも。

 そして、画像編集ソフトで日本地図を作り、

・断層の状況

・土砂災害の危険性が高いエリア

・飛行機・ヘリの飛行ルート

 といった「できれば避けたい環境」をあらかじめ知る作業を重ねていったら、「あれ、ここならどのマイナス条件にもかからない、自分たちにとっての好条件地域になってるじゃん」と、“自分地図”の理想の候補地トップに躍り出たのが、飯田市だったんです。

――やみくもに探したり、なんとなくの雰囲気だけで決めたりするのではなく、「理想」と「避けたいもの」を自分たちのなかでも明らかにしたあとに見えてきた「飯田市」だから、迷いがなかった。

髙居 そうなんです。これがわかったのが、移住セミナーに参加する少し前くらい。この街なら、自分たちのマイナス条件は心配しなくて良いとわかっていたので、あとは家や立地として自分たちにイメージ通りのものをただ、探せばよかった。「運命」を安心してたぐりよせる準備をしたからこそ、今があるのだと思います。

(プロフィール)
東京都生まれ、大阪府育ち。美術大学で映像を学び、映像制作会社に入社。CMや製品プロモーション、企業のブランディングなどに関わる映像制作に携わる。2018年、撮影スタジオの新規立ち上げの責任者となり、東京都へ拠点を移す。2023年11月に飯田市内の農地と宅地を取得し、リモートワークと自給自足の暮らしを始める。

きっかけはコロナ禍。ある「体験」が人生の転機に

――このコンセプトに至るきっかけは?

髙居 一つ、大きかったのはコロナ禍でしょうか。私は撮影スタジオの運営と映像プロデューサーの仕事に長く携わっているのですが、その会社が東京に進出するタイミングで代表を任されたので、家族で東京に引っ越したんですね。それが8年ほど前のことです。そこでスタジオを立ち上げて、ようやく軌道に乗ったと思っていたら、コロナ禍が訪れてしまって。

でもそのときに「仕事がなくなる」というよりは「これは新しい生き方や働き方を探すチャンスだな」と考えました。時を同じくして子どもも生まれたので、子育てや生き方、働き方をどうしていくかを一回立ち止まって考えたんです。そこで出てきたのが、「食べ物を自分たちで作って、住空間を作っていく」「エネルギーも自給自足していく」というコンセプトでした。

――なぜ「自給自足の暮らしがしたい」と思ったのですか。

髙居 間接的な要因としては、コロナ禍に始めたキャンプが大きいですね。そのとき、焚き火も初めての経験だったのですが、自分で火を起こして薪をくべて……という時間をすごしてみて、すごく豊かだなと感じたんです。

そこから「家の前で火をくべられたらいいな」と思うようになったけれど、東京のマンションでは絶対に無理だし、公園でもそんなことが許されている場所はほぼ皆無です。その事実に気づいたとき、「ああ、これは田舎暮らしだな」というのをおぼろげに思い描くようになりました。だから、最初はキャンプついでに移住候補地のリサーチをしていたんです。

加えて、コロナ禍の食糧問題などをきっかけに食の安全性を意識するようになって、「自分たちで安心安全な食を手に入れよう」「食やエネルギーへの依存から脱却しよう」と考えるようになり、自分たちでアクションを起こすことになりました。

――ご家族の反応はどうでしたか。

髙居 実はリーダーシップをとっているのは妻なんですよ。最初は妻のほうが、「私が畑とかをやるから、あなたはついてきなさい」という感じで(笑)。ただ飯田市に来たら来たで、私のほうが乗り気になってしまいました。

なので「火のある暮らしはいいな」などと思ってはいても、その当時の私はどちらかというと、会社のなかでどんどん出世して年収も上げて……というステータスを追いかけるマインドで。もちろん、そういう形の成功もあるし、私たちもそういう人生もあり得たとは思います。でも、コロナ禍で立ち止まって考えたときに、「田舎暮らし」「移住」というファクターが出てきて、「ステータスを追いかける都会的な成功体験というのを一回捨ててみよう」という心変わりがあったんです。

居間には、「火のある暮らし」を求めた髙居さんらしく、囲炉裏がある。「これもDIYで作りました」

法改正の好タイミングが、「農地を持ちたい」の願いを後押し

――移住条件だった「農地付きの宅地」については、農地法の改正(2023年4月より施行)でだいぶ条件が良くなりましたね。

髙居 はい。今までは、私たちのようなIターン者が移住して「自給自足したい」と思ったら、農家さんから農地を借りたり耕作放棄地を譲り受けたりするしかありませんでした。でも私たちは「畑を借りて耕して、作物ができたら後で返すことになった」という話も聞いたことがあったので、最初から買うつもりでした。

農地を購入するにあたっては、自分たちの自給分を試算しました。例えばお米だったら「今は成人の年間消費量の平均が1人あたり50~60㎏だから、1人1俵と考えて、家族3人分なら1年間に3俵作ればやっていける」「親戚分を含めて5俵くらい作ろう」「であれば一反もいらないから5畝でいい」といった耕作計画を立てた上で購入しました。そして実際、移住初年度からお米も育てることができました。

現在の自給率は、お米が150%で野菜は80%、卵も100%。妻が調味料や保存食も作ってるので、食費に関する出費も少なくなっています。「依存からの脱却」というコンセプトの実現はできているのかなと。

自給自足するために必要な分を計算して手に入れたという、田んぼと畑。

――すごい!自給率がかなり高いですね。「自給自足ができる場所」として見た場合の飯田市の利点を教えていただけますか。

髙居 日照率が高く、水が豊富にあることですね。飯田市を含む下伊那地域全体に言えることですが、気候と水と光が、自分たちの作りたい作物に適していました。

地下で働く消費型の生活から、太陽のもとで汗をかく生産型の生活へ

仕事は、自宅の一角に構えたワークスペースで。

――仕事面はどのように折り合いをつけたのですか。

髙居 東京の事業がある程度軌道に乗ったタイミングかつ、コロナ禍でリモートワークが世間的に認知され始めたタイミングだったので、「職を辞しても構わない」というスタンスで思い切って会社と交渉をしました。1年ほどかかりましたが、「リモートと東京の2拠点なら可能性がある」と会社が続ける方法を模索してくれて、現在の形に。ただ会社内では例外中の例外として扱われているので、給与は結構下がりましたね。

今までは撮影スタジオで技術コンサルやプロデュースワーク、ディレクションなどやっていましたが、そういった現場にいないとできない仕事から、営業や管理、最近だとAI を使った仕事やCG 制作、映像編集といった仕事に軸を変えたことで、リモートワークが実現したんです。月2回くらいは東京と飯田を行き来する、多拠点での働き方になりました。定宿のホテルに4、5泊して1案件に立ち合い、こちらに帰ってきて編集をする、というサイクルの繰り返しです。

会社の経営側からは「売上を維持できる体制を整えたうえであれば、どのような働き方でも良し」とされている部分があって、事実売上も順調に伸びているので、働き方を自分で決められる裁量があります。ただ現場にいるスタッフの起用方法など、体制をしっかりと固めないとリモートワークはできなかったなとは思っていて。売上を落とさないこと、かつ体制をしっかりと整えること。その条件をクリアしているからこそ、リモートワークが続けられています。

――元々もらっていた給料が抑えられたぶん、ほかの仕事も始めていたり?

髙居 いえ、副業はできないので……。

ただ、とにかく消費だけをする都会的な生き方を見直したというか。こちらでは、食べるものも住む家も自給していくという生産型のライフスタイルになったので、金銭面に関しては特に心配していませんでした。あとは、「手に職をつければいいや」と。

なにより「汗かいて働く方が気持ちいいな」と思ったんですよね。東京の撮影スタジオは地下にあるので、光も入らない。朝から晩まで地下でずっと働いていて、日の光を見るのは、昼休みにコンビニへ行くときくらい。なので夏でもヒートテックを着るほど、冷え性でした。でもこちらへ来て、当たり前のように草刈りとかをするようになって、「汗をかく」ことを覚えたんですよ。そしたら体質が劇的に変化しまして。あれだけ寒がりだった、夏はヒートテック、冬には5枚ぐらい重ね着してカイロを貼り付けていた男が、2月にこの恰好で東京に行ったら「髙居さん、薄着ですね」と言われました(笑)。

――東京で消費していた衣類の分も、こちらに来て節約できたわけですね。

髙居 そうですね。都会では自分が使うエネルギーも消費しているんだなって思いました。自分の健康を浪費していた可能性もあったなと。

キャンプで火を見たときに「豊かだなあ」と思ったくらいの感動を、こちらに来て色々と体験できている実感があります。生活の質としては上がって、収入としては下がって。でも別に天秤にかけるほどのことでもなくて、収入がどうというより、自分が仕事をして楽しい環境かどうかというのがまず大事なのではと思いました。

――収支のバランスと、人生としての充実感のバランスが今いい状態に?

髙居 ちょうどいいですね。例えば今後、石油の高騰や枯渇があったときに、薪ストーブで暖を取ったり、ソーラーパネルで発電したりして、エネルギー面も自給することはできる。なのでライフスタイル自体の満足度と収支とのバランスは、徐々に均衡化している、リンクし始めているというのは感じています。
もちろん東京に滞在する際は、飲みに行くなどの消費や浪費もしますが、こちらへ帰ってきて取り戻すというか、エネルギーを充電するような感じなんです。