「都市部との収入の差を埋めるために」。副業可を地方転職の第一条件に

━━今日はスリランカカレー料理人ではなく、会社員としての松村さんですね。

松村宰周さん(以下、松村) はい、ここが月〜金で勤務している会社です。当社はFA装置の開発や製造を主に行なっているメーカーで、私は営業を担当しています。

━━かなり専門的な分野ですが、これまでとはまったくの異業種だとか。

松村 東京では、住宅メーカーの営業として働いていたので、内容から営業先からまったく違いますね。最初は自分の会社が何を扱っているのかすら理解できなくて、苦労しました。でも、「営業」であるのはいっしょなので、東京時代の経験はだいぶ生かされていると感じますよ。飛び込み営業も余裕ですし、人とのつながり方、お客様を紹介いただく方法など、前職で学んだテクニックは日々のなかにじわじわ生かされていると思います。

━━この会社への入社を決めた理由はやはり、副業がOKだったから?

松村 最初に設定していた「副業」という条件が合致したことはもちろんですが、じつは現在の社長が私と同じ明治大学の、同じ学部出身の後輩だったんですよ。ここ飯田でそんな偶然があると思っていなかったし、いろいろな意味で意気投合して入社できたので、とてもラッキーだったと思っています。

松村宰周さん(エヌ・エス・エス株式会社/CHAKICHI)

━━そもそもなぜ移住、副業、そしてここ長野県飯田市だったのでしょう。

松村 妻があまり身体が強い方ではなくて、「健康のためにも、いつか地方で暮らしたいね」という話を以前からしていたんです。そして、子どもが産まれたことでいよいよ「東京で子育てするイメージは湧かないな」という思いが強くなりました。

飯田市は、妻の母親の実家でして、祖母がかつて暮らしていた実家が空き家になっていたんです。しばらくの間、親族が集う別荘的に利用していたのですが「使うなら暮らしていいよ」という流れになり、「じゃあ移住しようかな」、と決意しました。

 最後に、「副業をする」という選択は、単純にこれまで東京で稼いできた給与との差額を少しでも埋めたい、と考えたのが大きな理由の一つです。一般的な会社員として勤務したら1/3ぐらいに収入が減ることになるだろうと予想していたので、そこをどうやって超えていこうか、と。解決策として、一つは勤務する会社で早く昇格していくこと、そしてもう一つは副業で稼いでカバーしたいと考えました。

事前リサーチに導かれ、スリランカに「カレー留学」

━━副業のなかでも「スリランカカレー店」というのはかなり個性的ですよね。スリランカにご縁があったのでしょうか。

松村 いえ、全くないんです。もともと趣味でカレーづくりが好きだったのでカレー屋になりたいなとは思っていたんですけれど、どういうカレーにしようかというのは、この地域をリサーチした結果決めたことで。

カレーといってもインドからネパールから日本発祥のスパイスカレーなどさまざまありますが、長野と岐阜、山梨ぐらいまで調べてもスリランカカレー店はこのあたりに1軒しかないことがわかってきたんですね。それで、「スリランカって、どんな国なんだろう?」と調べ始めてみたら、仏教国で親日派の人が多かったりと、いい条件があれこれ目に入ってきて。「じゃあ、ここにしよう」と、会社を退職して移住するまでの半年ほどの期間のあいだにスリランカにカレー留学をしたんです。

━━なんと、「旅先で出会った味が忘れられなくて」、などではなく、マーケティングの結果に導かれてスリランカに渡ったんですね。

松村 そうなんです、スリランカカレーがどんなものかもほとんど知らない状態で行きましたからね。いきなり現地にホームステイに入って。でも結果、料理も人も、全部がすごくよかったんです。

━━スリランカでは毎日、どんな日々でしたか。

松村 家庭料理をずっと教えてもらっていました。ホームステイ先は日本人とスリランカ人のご夫妻だったのですが、日本人である奥様に近所の料理上手な方に声をかけてもらって、その家の味を教えていただいて。朝昼晩、毎食教えてもらう日々を数日間すごしたら息抜きでスリランカ国内を少し旅してまた帰ってくる、ということを20日間ぐらいやっていました。本当はもっと長く滞在するつもりだったんですが、ちょうど新型コロナウイルスが蔓延し始めてしまって。

━━スリランカのカレーって、どのようなところが特徴であり魅力なんでしょうか。

松村 魅力は大きく分けて2つ、一つはココナツオイルやココナツミルクをたくさんつかってヘルシーなんです。もう一つは、魚で出汁をとるところ。魚介のうま味は日本人の味覚に合いやすいと思います。

料理としての特徴は、南インドの「ミールス」などと近いんですが、日本のカレーのようにいろんな野菜をいっしょにまぜて煮込むのではなく、一具材につき一カレーをつくるのが一般的ですね。

チャキチのスリランカカレー(写真提供=本人)

━━それぞれの家庭ごとに、味わいも異なっていたり。

松村 まさに。スリランカでは、それぞれの家庭ごとに独自にスパイスミックス、いわば「カレーの素」みたいなものを持っているんですよ。それをベースに、あとはスパイスの足し算引き算をするイメージ。だから仕上がりも家ごとに違ってくるんです。

飲食業経営のむずかしさ、そして喜び

━━本場スリランカで学んだカレーを日本に持ち帰る際、意識したことなどありますか?たとえば「日本人の味覚に合うようにアレンジする」とか……。

松村 いえ、むしろ教わったことをそのまま表現できるように努力しました。僕はもともと料理人でもないので、とにかく本場の家庭の味を再現する、というイメージで。安定した味で再現できるようになるまで、一年くらいかかったと思います。

もともとカレー好きでもあるので、プライベートで今でもあちこちのカレーを食べ歩いているんですが、それでも自分のオリジナルというのは出さないと決めています。これにはもちろん、理由があって。レシピを再現する、という方向の努力なら、もし仮に食べた方の口に合わなくても、「このレシピが口に合わなかったんだな」と気持ちの整理がつけやすいと思うんです。でも、オリジナルで批判されたときに乗り越えるほどの気持ちの余裕がないというか。副業カレー店の喜びを守るための、自衛策かもしれませんね。

━━飲食店は未知の領域だったということで、価格の設定とか、注文オーダーうけてから出すまでのフローなども研究されたのでしょうか。

松村 そうですね。そこは最初結構苦労しましたよね。

━━どういうところが難しかったですか? 

松村 オペレーションの組み方ですね。何人いたらどれくらいまわせるか、とか。バイトさんを一人雇えばラクにはなるんですが、その分もちろん出費が増えるわけで。たとえば20人前をつくるなら、各材料をどれくらい買わないと足りないか、という量もわからないところからだったので。最初1年は赤こそ出なかったですけど、好きじゃなかったらできないってくらいのレベルの収支でしたよ。

出店のようす(写真提供=本人)

━━いきなり店舗を構えるなどをしない、というのも良い戦略ですよね。

松村 そうですね、これも地域で良い出会いがあったので、こういう出店の方法も可能なんだと気付かせてもらい、今もその方法をとっています。完全予約制にしているのも、ロスを出さないため。飛び込みをお受けできない心苦しさはありますが、毎日お店を開けるカレー店ではないので、売り切りで完結させる工夫はとても大事なんです。

 今のところ月1〜2回の出店ですが、それでも本業の職務をきちんと全うしながら副業にも力を注いでいくのは、体力的にも時間的にも大変な部分はもちろんあります。でも、副業をしたおかげでたくさんの人に出会うことができ、プライベートでも地域で交友の輪が広がったことは、思いがけない財産になりました。移住先でも人とつながるきっかけになる、これも副業の魅力として、みなさんにお伝えしたいですね。

━━入賞された「飯田市ビジネスプランコンペティション(以下、ビジコン)」でも、移住と副業の魅力を伝えたことが話題となりました。

松村 はい。飯田市や南信地域に副業移住という選択肢を広げたい、これによって一人でも多くの移住者を呼び込めたら、というのがビジコンでのプレゼンの主なポイントでした。ほとんど、カレーのことは話さなかったんじゃないかな(笑)。こういう生き方もアリなんだ、っていうことを知ってもらって、地元の方にも移住希望者にも、理解と共感を広げたいんです。

都市部での暮らし、とくに子育ては年々息苦しくなっているように感じるなか、一歩外に出てみるといろんな可能性がある。子どもが泣いたり飛び跳ねても、地方の一戸建て暮らしなら上や下の階のことを気にせずいられるし、自然のなかの遊びの場もたくさんありますから。副業をチャレンジすることに対する応援のまなざしもそうです。この小さなカレー屋も新聞記者さんがすぐに取材に来てくれて取り上げてくださったり、ビジコンのように支援をしていただけるチャンスがあったり。もちろん、人口が少ない分、顧客を安定的に獲得する難しさなどもありますが、それならそれなりのやり方がありますから。

今後の展開も大胆に、着実に。「前職を生かし、不動産業にも挑戦したいです」

━━本業も副業も全力投球の今だと思いますが、今後の展望はどのようにお考えでしょうか。

松村 本業は、引き続き職務を全うするのは当然ながら、副業を、カレー店からさらに幅を広げて展開していきたいと考えています。

━━具体的には、どのようなことを?

松村 すでに行なっていることとしては、スリランカの家庭料理教室ですね。スリランカカレーって、スパイスを用意してメソッドさえ覚えてしまえば家庭でもとても簡単に作っていただくことができるんです。「じっくりコトコト煮込む」なんていうこともないですし、日本食のなかになじませてもしっくりくる副菜もたくさんありますから。そうしたものをシェアキッチンなどを活用してお伝えする機会をつくりたいです。さらに、コロナの状況が落ち着いたらスリランカに日本のみなさんをお連れするツアーも計画したい。カレーづくりだけでなく、代替医療として有名な「アーユルヴェーダ」の体験、世界遺産・シギリヤ観光に、世界的に有名なヌワラエリヤの紅茶テイスティング……など、ナビゲーターがいないとなかなか味わうことのできないスペシャルなツアーをご提供したいですね。

それから……これはまた大きく異なる話なんですが、もともと住宅業界にいた経験をいかして、不動産系の事業にも取り組めないかと考えているんです。

━━なんと。それは空き家活用などでしょうか。

松村 そうですね、相続などの問題が今後ますます加速していくことが目に見えているなかで、都会の感覚で提案できる不動産屋が不足しているんじゃないかな、とここで暮らしはじめて感じるようになったんです。

感覚としては都市のスピード感や知識を持ちながら、ここに暮らす人間として地域の景観や環境に責任がもてる人間が不動産業を行わないと、今後リニアが通ったら、あっという間に乱開発が行われて地域の文化が壊されてしまうんじゃないか、と危惧している面もあります。3年くらいの間に、そのあたりの構想をしっかり考えて、ビジョンを持って進んでいきたいと考えています。

━━ますますご活躍の幅が広がっていきそうですね。

松村 東京に暮らしているときは予想もしていなかった展開だらけですが、とても充実しています。もちろん苦労もありながら、家族との時間や自然の美しさ、食材の美味しさなど、総合的に見てやっぱりここに来てよかった。だからこそ、つねに現状に甘んじることなく、先を見据えてできることに取り組んでいきたいです。


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