将来子どもたちに「やりたいことをやったらいい」と言える自分になりたかった

━━waratte houseがオープンして1年半以上が経ったのですね。オープン直前にi-PORT.Bizの別企画で取材させていただいてますが、実際に宿の運営を始めてみていかがですか?やはり、移住を検討している方も泊まりに来られているのでしょうか。

杉山 そうですね、結構いらしてます。泊まってくださったお客様が「このエリアでは家が見つからなかったけど飯田市内に引っ越したんです」と報告してくれたり、その後も交流が続いていますよ。そんな声を聞くと、宿をやってよかったなと思います。

━━それは素敵ですね。杉山さんの名刺を拝見すると、宿のほかに子育て、地域おこし協力隊、コーヒー、夫婦関係などさまざまなキーワードが並んでいますが……。いま杉山さんはどんなお仕事をなさっているのでしょう?

杉山 個人事業のwaratteでは、waratte houseやwaratte farmの運営とコーヒー屋としてのイベント出店。また飯田市の移住コンシェルジュとしても活動しています。あとは妻がマタニティヨガやベビーヨガを開催したり。また「ローカルイノベーションイニシアチブ」という、長野市を拠点とする一般社団法人の共同代表もやっています。この法人を窓口に、総務省から拝命した「地域おこし協力隊アドバイザー」として県内の地域おこし協力隊のサポートもしています。

waratte代表の杉山豊さん。妻の愛さんと一緒に3児の子育てをしながら、農家民泊の営業やイベント出店、地域おこし協力隊のサポート事業などさまざまな職をこなしている。

━━本当にいろいろとやってらっしゃる!

杉山 二足どころか、何足履いているかわからないくらいで……(笑)。会社員のころは肩書きで生きてましたけど、いまは「何屋さんですか」と聞かれると困ってしまいます。

━━会社員だった時代もあるのですね。現在のお姿からはまったく想像できません。

杉山 そう、東京で働いていたんですよ。元々は岐阜県出身で、愛知県の大学を卒業してから3年ほど地元に戻って働いていました。でも当時は就職氷河期真っ只中。「どう生きていくか」「もっとできるんじゃないか」と働き方に悩んで、25歳で上京したんです。転職を繰り返して、最終的にBtoB向けの車両手配業をメインとするベンチャー企業で12年間働きました。

━━そこから会社を辞めて個人事業主になったと。その選択にはどんなきっかけが?

杉山 息子が生まれたのが大きな転機でした。子どもを前に改めて「いつかこの子も、どんな風に働いて生きていくか迷うんだろうな」と感じて。そのとき息子に「やりたいことやればいいじゃん」って言いたいけど、自分自身がやりたいことをやれてない……と気づいたんです。

当時はちょうど“働き方改革”などが言われ始めたころ。小さいベンチャーだったので、「働き方改革なんていうのは大企業の話。うちには関係ないよ」と言われるような雰囲気でした。家族との時間を作りたいのに、出世するほど家族との時間が減っていく。自分のプライベートが仕事にどんどん侵食されていく感覚がありました。

忙しすぎて会社に勤めながらなにかを見つけるのは難しいというのもあって、自分が本当にやりたいことを探すために、37歳のときに会社を辞めました。辞めた後は半年ほど失業保険をもらっていて、その間に結婚カウンセラーの資格を取ったんです。

━━前職とはまったく違うジャンルの資格ですね。

杉山 「自分のやりたいことってなんだろう」と考え抜いてわかったことは、僕が働く理由は家族にある、ということ。さらに掘り下げて「ずっとやっても飽きなかったことは?」と聞かれて行き着いたのが、恋愛相談や、夫婦間の相談に乗ることだったんです。

会社員時代に、おいしいコーヒーを淹れることへの探究心が芽生えたという豊さん。生豆を仕入れて自分で焙煎をし、挽きたての豆をハンドドリップで淹れている。イベント出店時も、杉山家の自家焙煎コーヒーを提供しているという。

家族で“生きる力”を身につけるために地方への移住を決意

━━なるほど、そういう流れだったのですね。その後は豊丘村の地域おこし協力隊の着任とともに、ご家族で信州へ?

杉山 そうです。東京で子育てをしていくことに不安を覚えたこと、個人事業主として東京で生活し続けるのは難しいと感じたことから地方暮らしの選択肢が生まれて、ちょうどそのとき募集があった豊丘村の地域おこし協力隊に応募しました。

━━杉山さんはそれから、長野県初の地域おこし協力隊としても活動されてましたよね。

杉山 はい。県の地域おこし協力隊を拝命したタイミングで、龍江のこの家に移りました。

農家民泊waratte houseは、山や田畑に囲まれたのどかな山里に佇んでいる。写真手前にあるのは杉山家が手をかけている田んぼ。田んぼと家の間には柿の木もある。

━━宿を運営するという発想は、いつごろから生まれたんですか?

杉山 豊丘村の地域おこし協力隊のときですね。当時、豊丘村に都会の人を呼び込む農村交流のようなことをしていたんです。それでわかったのが、泊まる場所が少ないということ。「それならうちに泊めるのもアリかもな」と思って。

僕はビジネスに関しては、基本的に小さく始めて、いくつかテストをして「いける!」と思ったら少しずつ大きくしていくというやり方をしています。最初から大きなリスクを負うビジネスは、移住者には向かないのではとも思いますし。宿事業も、あるものを活かして、手直ししながら作っていきました。

━━ちなみに、なぜ龍江だったのですか?

杉山 豊丘村の地域おこし協力隊のときにつながった方が龍江地区の地域づくり委員会の会長を紹介してくださって、この物件に出会えたからです。初めてここへ来たときに、妻も「絶対ここがいい」って言って。とても静かで、車がほとんど走っていないので子どもを手放しで外に出せる。ふたりしてこの住環境が気に入りました。

大工さんの協力を得ながら、居住空間をできる限り自分で作ってみるということにも挑戦しましたし、僕たちが気に入って住んでいるからこそ、泊まりに来てくれた人にこの環境やこの家の魅力を自分たちの言葉で伝えることができます。

リビングは天井を抜き梁をむき出しにすることで、より開放感のある空間に。

━━たしかに、説得力があります。

杉山 僕たちの移住の目的のひとつに「生きる力を身につける」というのがあって。たとえば家を建てる場合、ふつうはお金を払って業者に任せることしかできないですよね。建物だけでも数千万円はかかりますが、この家は材料費込みで150万円ぐらい。実家にあった床板を持って来たりして材料の一部の費用を浮かせてはいますけどね。いずれにせよ、家を作れるようになるって強くないですか?

━━強いですね!

杉山 家や食べ物が作れるようになれば、どこでも生きていける。そういうのを子どもにもちゃんと伝えることができます。加えて、お客様を呼ぶことで子どもが知らない人たちと交流できることも、生きる力を育めると思っていいなと。うちの子どもたちって、基本的に物怖じせず突っ込んでいくんですよね(笑)。人間として成長していくために、すごく大事な気がしています。

豊さんが少しずつDIYを進めている、宿泊客用のプライベートスペース。奥の部屋は畳だったが、一面をフローリングに替えている。押し入れは子どもが遊べる秘密基地に。
両親譲りの笑顔とホスピタリティで取材チームを迎え入れてくれた、長女の奏ちゃん。

“移住相談窓口機能付き”はビジコン参加を通して生まれたアイディア

━━杉山さんは、waratteを起業された年、令和4年度の飯田市ビジコンに参加されてますよね。

杉山 そうなんです。じつはその前年度も参加したんですけど、落ちてしまったので再チャレンジしました。

━━そうだったのですか!

豊さんがビジコン参加にあたり作成したという自己紹介スライド。

杉山 1年目のとき、この自己紹介スライドを見せながら話しました。落ちたのが結構ショックだったんですけど、よく考えると僕、プレゼンでは事業説明しかしてなかったんですよね。審査員の方に「ここはビジコンですよ」とコメントされたのが、すごく印象に残っていて……。それってどういうことだろうと考えて、「僕たちはこんな事業をしたいです」「それが飯田市にとってはこういう理由でいいと思います」といった話をちゃんとするべきだったと気づきました。

━━その反省を踏まえて、2年目はどのように説明したのですか?

杉山 そこで思いついたのが、移住相談窓口機能付きの農家民泊なんですよ。僕らが宿をやる意味というのは、外から来る人の入口になること。その強みはなにかというと、僕たち自身が移住者であって、僕たち自身がいろいろと悩みながら地域で生業を作っていることかなと。理想の生き方を求めてここへ来る人々に、その先の働き方や生活を疑似的に一緒に体験してもらえる宿にしようと思いました。

実際、飯田市への移住希望者はたくさんいるようですが、案内できる人手が足りないという問題があります。行政は移住者にとって入口として機能しますが、そこから先、地域との接続についてはやりきれない部分も。でも、僕らの宿に泊まってもらえば、「なぜこの仕事をやろうと思ったのか」みたいなことを、ご飯を食べながら気軽に話せます。移住相談窓口機能付き農家民泊っていうワードを思いついたのは、僕のなかで革命的でしたね。

━━地域にとってwaratte houseがどのように役立てるのかという視点を、2年目はプレゼンに取り入れたわけですね。

杉山 そうです。地域が必要としてること、行政が必要としてること、僕らがやりたいと思ってること。これらのいいところ取るのはすごく難しいと思いますけど、1年目にはそれができてなくて、自己満足の発表になってしまいました。行政が求めていることや地域が求めていることに着地できなかったので。ビジコンはそこを突き詰めるきっかけになり、とても良かったです。

豊さんはビジコン1年目の反省点としっかり向き合い、2年目には起業家部門で見事入賞を果たした。

一つひとつの事業=「歯車」を動かしてみたら、全体が連動し、動き出していった

━━審査員の方々から客観的な意見をもらえる機会は、なかなかないですよね。

杉山 はい。自己紹介スライド作るにあたって自分の事業をまとめられたことも、ビジコン参加の大きな成果です。バラバラに見えて、じつはそれぞれの事業が根っこではつながっているということを伝えられるようになりました。

元々僕たちがやりたかったwaratteの原型は「夫婦の笑顔を作る」こと。妻は自分自身が育児にすごく悩んでいて、「育児中のお母さんは笑えない」と感じていました。それで「お母さんたちにもっと笑顔になってほしい」という思いを持っていて、いずれwaratteという名前の事業を作ろうと移住前から話していたんです。それが2020年に「地域の笑顔を作る」をコンセプトとする事業として形になったわけです。

このなかには当初僕たちがやりたかった事業が詰まっていて。妻がやっている育児の勉強会やマタニティヨガ、僕のコーヒー事業、夫婦カウンセリング、地域づくり。さらに新規事業としてwaratte houseとwaratte farmを始めましたが、すべて自分たちの生活に直結していることばかりなんですよね。

おもちゃがたくさん揃っているwaratte houseは、子どもたちにとってパラダイスのような空間。リビングの一角にはブランコも。

━━なるほど。「笑顔にする」という部分と、生活に関わるという部分で考えると、たしかにバラバラに感じられた事業がつながります。

杉山 20代、30代と迷走し続けて、まだもがいている最中ですけど、それぞれの歯車がやっとかみ合ってきたという実感もあります。歯車をなんとなく動かしてみたら「全体も動くじゃん!」って。いまはひとつひとつの歯車を微調整している段階ですね。

━━これからさらに大きな歯車が動くようになるかも!?今後はどんなことに着手していく予定ですか?

杉山 直近で言うと、龍江の端の方でwaratte houseの2棟目を作る予定です。ここはホームステイタイプですけど、2棟目のほうは雑多に何人か泊まれるゲストハウスのような宿にしたいですね。地域おこし協力隊と協力し合ってコンセプトを練り、DIYで改修をして稼働させていく予定です。

僕自身は地域おこし協力隊のサポート事業をもう少し手広くやっていきたいと思っているので、この先5年くらいをかけて、宿もコーヒー出店も僕がいなくても回るように地盤を固めていきたいですね。

━━それは楽しみです。ぜひまたビジコンへの参加もご検討ください。ありがとうございました。

杉山 豊(すぎやま・ゆたか)、杉山 愛(すぎやま・あい)

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