八幡商店街に誕生した心温まるコーヒースタンド。地域の日常に寄り添って

━━開業おめでとうございます!オープンから一ヶ月半が経ちましたが、これまでの反響はいかがでしょうか。

甲斐 祐弥さん(以下、甲斐):おかげさまで、多くのお客様にご来店いただき本当に嬉しいです。「こんなお店を待っていた」という声を頂戴する度に、開店して良かったな、と心から感じています。

━━さっそく手応えを感じているようですね。

甲斐:はい。朝7時半からオープンしていますが、出勤前に立ち寄られるお客様や、ほっと一息つくためにいらっしゃるお客様もいて、日常の一部になれている実感があります。

━━客層はどのような傾向がありますか?

甲斐:20〜30代の方が多い印象ですが、「近くにコーヒーが飲める場所がなかったから」と近所のおじいちゃんおばあちゃんが来てくださることもあって、まずは地域に受け入れてもらえたのかな、と思っています。地元だけでなく、マルシェで出会った方が須坂市から来てくれたり、SNSを見て県外から訪ねてくださった方もいます。

JR飯田線伊那八幡駅から徒歩5分、国道151号沿いの商店街に店舗を構える。風情のある白いレンガ調の外壁が目印。

人生を変えた一杯のコーヒー。過去の経験を糧にして

━━テイクアウトメインの「コーヒースタンド」スタイルで営業されているとお聞きしました。こういった業態を選んだのにはどういった理由があるのでしょうか?

甲斐:ビジネスの観点では、飯田市にこれまでなかったというのが大きな理由です。目新しさを武器に認知を広げたいと考えました。

━━「飯田市初」というのはインパクトがあります。

甲斐:そうですね。都会では一般的ですが、車社会の地方ではまだ浸透していません。当店をきっかけに、八幡の街をコーヒー片手に楽しんでもらえたら嬉しいです。

もう一つの理由は、僕自身が過去にコーヒースタンドに「救われた経験」があったこと。コーヒースタンドを通して、この町に恩返しができればと思ったんです。

本格自家焙煎のコーヒーは、一杯一杯ハンドドリップで丁寧に淹れられている。

━━「救われた経験」について、お聞かせいただけますか。

甲斐:はい。僕の前職はホテルマンで、東京の専門学校を卒業後、都内のいわゆる“一流”と呼ばれるホテルで働いていました。ただ仕事のノルマや多忙さ、人間関係で心を壊してしまって……。

そんな中、コーヒーを飲んでいる瞬間だけは、モノクロだった世界に色彩が戻るような感覚があったんです。ただ、仕事に行けばまた世界は暗くなって、その繰り返しで。もう人生を諦めかけたとき、「最後に大好きなコーヒーを」と立ち寄ったのがコーヒースタンドでした。

そこで注文したカフェラテに描かれたラテアートを見たときの感動は今でも鮮明に覚えています。そしてその時のバリスタの接客が、まるで粉々になった心を拾い集めてくれているように心温かくて。その瞬間、「もう一度生きてみよう」と思えたんです。

━━大変な時期があったのですね。

甲斐:ただ、この経験があったからこそ、今があると思っています。なので僕たちがコンセプトとするのは「日常に寄り添う」こと。

嬉しいときも嫌なことがあったときも、「空」は絶対に無くなりません。誰にでも寄り添えるお店、誰にでも身近な存在であるように、そういった思いを込めて、店名を「sora」と名付けました。

店内には一人でも気軽に利用できるイートインスペースも。テイクアウトはもちろん、その場で出来立てを味わう楽しみ方もできる。

コーヒーが繋いだ、夫婦の出会いと地域の輪

━━こうした過去の経験を経て、起業に至ったと。

甲斐:はい。2017年にホテルを退職し、それを機に東京から飯田へ戻ってきました。そこからすぐにカフェでバリスタとして修行を始めました。

━━当時から開業を考えていましたか?

甲斐:いえ、そういうわけではないんです。最初はただバリスタという仕事に憧れていただけでした。

でもコーヒーの奥深さを知るほど表現したいことが増え、お客様に合ったコーヒーを提供したいという思いが強くなって。そのころ、ちょうどコロナ禍と重なって、当時働いていたカフェもオープンできない日が続きました。その期間でビジネス書を読み始め、「自分だったらどうするか」を考えるうちに起業のアイデアが芽生えました。妻からの後押しもあって、覚悟を決めたんです。

━━妻の美乃里さんのひとことが決め手になった。

甲斐:はい。妻にはいつも支えてもらっています。妻は飯田の出身で、2021年に結婚しました。実は出会いも、当時働き始めたカフェで妻が働いていたことがきっかけなんです。

━━なんと!それはまさにコーヒーが繋いだ縁ですね。

甲斐:たしかにそうですね。僕たち夫婦にとって、「コーヒー」は人生のキーワードかもしれません(笑)。

やわらかい笑顔と丁寧な言葉遣いが印象的な甲斐ご夫婦。その人柄に惹きつけられる人が多いのも頷ける。

━━「出会い」に関連して、この店舗との馴れ初めを教えてください。

甲斐:近所に簡易宿所の「Yamairo guesthouse(ヤマイロゲストハウス)」があって、お店を開く前からそこで出店させてもらっていました。そういった縁もあり、この近辺でお店を出したいという思いもあって。いい場所を探す中、この物件に出会いました。

実はもう一件候補もありましたが、ここでコーヒーを淹れている自分の姿が想像できたことが決定打です。直感で「ここだ」と思いましたね。2023年の11月頃にこの物件を契約して、内装のデザインや方向性などを決め、1年ほどでオープンにこぎつけました。

━━素敵な内装と外装ですね。当時の名残りもあるように感じます。

甲斐:元はクリーニング屋さんだったようです。古い建物でしたが、知り合いの建築士にわがままを聞いてもらい、僕たちで考えたデザインに沿ってリノベーションをしてもらいました。当時の柱や梁、土間などはそのまま活用し、ただ新しいだけでなく、当時の様相を残した内装にしています。おかげさまで、イメージ通りのお店になったかと思います。

━━これだけの改装なので、費用も結構かかったのではないでしょうか。

甲斐:そうですね。改装にあたってクラウドファンディングにも挑戦しました。ただ、お金が欲しかったというよりも、一番の目的はみんなで作る楽しさを味わいたかったんです。自分ごとに巻き込んで、成長を見守ってもらいながら愛着を持ってもらえたらと。

━━クラウドファンディングもストレッチゴールまで達成されたそうですね!

甲斐:160人以上の方が支援してくれて、あっという間に目標を達成してしまったときは驚きました。

最初は当たり障りのないことだけ書いていましたが、妻から「もっと人間味を出した方がいい」とアドバイスをもらって。思い切って自分の過去を書いたら多くの人に共感してもらえて。やってよかったなと思います。

店内は温かみのある空間が広がる。当時をそのままに残した、入口の土間も特徴的だ。

商店街に新しい風を。未来を描く夢と挑戦

━━令和6年の「飯田市起業家ビジネスプランコンペティション(以下、ビジコン)」にも挑戦。そして見事、入賞されました。

甲斐:ビジコンでは、コーヒースタンドを知ってもらうためというのと、自分のアイデアを試したかったんです。経営者の方々に客観的に見てもらい、審査してもらうのが応募した一番の理由です。

━━参加してみて、いかがでしたか?

甲斐:人前で喋れるタイプではないので、プレゼンの7分間は頭が真っ白でした。それでも、僕が考えていたビジネスプランとそれに伴う収支計画についてはしっかり伝えられたと思います。

いただいた奨励金の50万円は、店舗の改装費用に充てさせてもらいました。

━━「空き家問題や商店街の活性化にも繋げていきたい」とプレゼンされたそうですね。

甲斐:はい。飯田全体をいきなり盛り上げるのは難しいので、八幡商店街からでも小さく活性化に繋げていきたいと考えています。この商店街も今では空き店舗ばかりですが、30年ほど前までは、「ここに来れば何でも揃う」という活気あふれる場所だったと聞きます。

当時と同じにはならなくても、賑わいのある場所にしたい。ここで起業する人が増えて、一日遊べる商店街にできたら理想です。

━━「一日遊べる商店街」思い浮かべるだけでワクワクします。そのためにはどのような取り組みが必要だと考えていますか。

甲斐:まずはもっと多くの方にコーヒースタンドを楽しんでもらい、同時に商店街の現状を知ってほしい。この商店街にも、靴屋やお菓子屋など、営業しているお店がある面白さを伝えたいです。こうした現場をみて、「私もやってみたい」という仲間が増えたら嬉しいです。そうして、コーヒーを片手に商店街をブラブラしてもらえたら最高ですね。

「毎日をそっと押してくれるような一杯」を出せるお店を目指して。

━━甲斐さんが淹れてくださったコーヒーをいただきました。心がほっとする、毎日飲みたいコーヒーだと感じます。

甲斐:ありがとうございます。特別な日の贅沢な一杯もいいですが、目指すのは「毎日をそっと押してくれる一杯」。お客様には一方的にコーヒーのおすすめはせず、お客様の好みや気分を聞いて、それに合ったものをお出ししています。

━━さまざまな種類のコーヒー豆を取り揃えているんですね。

甲斐:当店ではスペシャルティコーヒーを取り扱っています。スペシャルティコーヒーとは、どの生産者が、どのような農園で、どのように栽培・精製したのかが明確な高品質な生豆のこと。個性があり風味豊かなコーヒーが特徴です。ただスペシャルティコーヒーというのはあえてPRせず、「たまたま飲んだら美味しかった」という自然な発見を狙っています。

華やかなものから柑橘系のフルーティーさのあるものまで、個性的な豆を6種類取り揃えている。

━━「焼きドーナツ」も人気のメニューだと聞きました。

甲斐:焼きドーナツは妻が担当しています。揚げていないからヘルシーで子どもからお年寄りまで手に取りやすく、コーヒーとの相性も抜群です。

美乃里さん(以下、美乃里):お店のコンセプトを決める段階で、「コーヒーと焼きドーナツのお店」にしようというのは決めていました。それに合わせて、どういった焼きドーナツがいいのか、配合を変えるなどして試行錯誤しました。土日は100個くらい作りますが、ありがたいことに午後にはなくなることもあります。

━━なんと、午前中のうちに100個が売り切れてしまうんですね。

美乃里:はい。朝5時頃から仕込みはじめ、7時半のオープンまでにプレーン味だけでも販売できるように準備しています。最近は焼きドーナツを目的に来店してくださる方も増えてきて、少しずつ反響が出てきて嬉しいです。

━━見ているだけでお腹が空いてきますね。子連れでも大丈夫ですか?

甲斐:もちろんです。ソフトドリンクも提供していますし、当店オリジナルのクリームソーダも売り出しているところです。「午後5時40分のクリームソーダ」「雨日和のクリームソーダ」など、空にまつわる名前をつけています。僕が小さい頃、祖父と一緒に喫茶店でクリームソーダを飲んだ記憶があって。やっぱり子どもは嬉しいですよね。

スイーツは美乃里さんが担当。さまざまな味の焼きドーナツのほか、ドーナツとアイスを掛け合わせた「あったかドーナツアイスのせ」などの食欲をそそるメニューも。

━━甲斐さんは大阪の出身だそうですね。飯田の暮らしはどうですか?

甲斐:大阪出身といっても、小学3年生で長野県木曽町に引っ越し、高校生活は飯田で過ごしました。数えれば飯田に10年間住んでいることになりますが、風土が本当にいいと感じます。人と人の繋がりが丁寧で、尊重し合う距離感が素敵です。

━━たしかに、風土の良さは飯田の魅力だと感じます。

甲斐:あとはチャレンジする方も多いので、何か気分が落ちたときでも背中を押してくれる仲間がいるのも飯田の良さ。創業のときもいろんな方からアドバイスをいただきました。そういった方からの後押しもビジコンに応募したきっかけです。ビジコンを通じた人脈も生まれています。

━━最後に、メッセージをお願いします。

甲斐:「sora」が日常に寄り添う場所になれたら嬉しいです。コーヒー好きもそうでない方も、気軽に立ち寄って、コーヒーと焼きドーナツを楽しんでください。商店街を散歩しながら、飯田の魅力を感じてもらえたら。皆さんの日常にそっと寄り添えるお店を目指しています。

そして、ぜひこの商店街を一緒に盛り上げてくれる仲間が集まってくれたらと願っています。

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