長野県飯田市のなかでも山間部に位置する上村地域。「遠山郷」の呼称で知られるこの地に2022年10月、築150年の古民家を改装した「食と体験の宿『まごころ』」が誕生した。経営するのは数々の和食の名店で修行を重ねてきたオーナーシェフの小池清志さんと、地域おこし協力隊として移住した小池真沙美さん夫妻。同店は宿だけでなく、ランチにディナー、宴会も実施可能な「新島(あたらじま)食堂」としての顔も持つほか、ケータリング事業も好調だ。
飯田市街地からも車で約40分という立地での開業ながら、多様な客層を受け入れるビジネスアイデアで令和4年度飯田市起業家ビジネスプランコンペティションに入賞した本事業について、お二人に改めて思いを聞いた。
この場所とともに、地域がもっとにぎわうように|「食と体験の宿 まごころ」「新島食堂」小池清志さん、小池真沙美さん(長野県飯田市上村)
改修は面影を残し、「思い出話の花咲く場所に」
━━開業から1年超、おめでとうございます。とても雰囲気のある素敵な場所ですね。まさに古民家という趣ある佇まいがありながら、快適性も確保された心地よい空間です。
小池清志さん(以下、小池):ありがとうございます。この状態になるまでの改装は、なかなか大変でした。
小池真沙美さん(以下、真沙美):そもそも私たちが来るまで、40年間空き家だった場所なんです。今では想像できないくらいに荷物がたくさんあったし、動物が暮らしていた痕跡もところどころにあって。まずは清潔にしたうえで、良いものは残しながらリノベーションを進めていきました。
━━古民家のリノベーションといえば、市内のyamairo guesthouseさんからもお聞きしましたが、まずゼロに戻すところまでが大変だとか。
真沙美:そうですね。人手が必要なときも多く、「カレーを御馳走するで、手伝ってー!」って、地域のみなさんにお声がけをして、たくさん手伝っていただいて。開業前から多くの方に助けられています。
━━:とくに苦労されたり、工夫したポイントは?
小池:妻と二人で取り組んだ、窓枠の色塗りかもしれませんね。
真沙美:たしかに。ここはもともと全部シルバーのアルミサッシでした。全部取り替えればいのかもしれないけれど、こういうすりガラスなんて今は貴重だし、なによりまだ使えるから活かしたくて、金属用のペンキで色だけを変えました。
じつはここ、もともと村長さんのお宅だったんです。だからこの地域のたくさんの方が足を運んでいた、なじみの場所で。「ここで食事をしながら思い出にも話を咲かせてもらえたら」と、そんなイメージがあったので、なるべく原形を活かしています。
真沙美:その一方で、お宿として泊まっていただいたり、創作和食のコースを提供する場にもなるので、きちんと清潔感のある場所に、ということは意識していました。宿泊スペースの欄間など、残すことでこの場所の魅力が引き立つところも多かったので。
小池:冬場の作業が多かったので、寒いし、冷たい工程ばかり。振り返ると全部が大変だったけれど、今はいい思い出にしかなってないね。
真沙美:本当に。今になれば、やってよかった、よう頑張ったなぁって言い合っています。そうそう、こだわりの信楽焼のお風呂も、ここに入れるまでが大変でした。
━━先ほど拝見しましたが、素敵なお風呂ですよね。
小池:ここは最初ユニットバスを導入する予定でしたが、それだとお宿の非日常感が出ないので変えたいなとこだわっていた部分なんです。どうしようかと考えていたあるとき、福島のお宿がSNSで「改装するので譲ります」と投稿していたのを偶然見つけて、すぐにダイレクトメッセージを送って。取りにいくことが条件だったので、福島まで7時間かけて軽トラで受け取りに行きました。
━━7時間かけて!それは大仕事でしたね。
真沙美:そうなんです、割れたら一巻の終わりなので慎重に。降ろすのも地域の皆さんに手伝ってもらってね。そのままじゃ入らんもんで、横にして、ゴロゴロゴロゴロ・・・・って。
小池;入らなければもう一度窓枠を外さなければいけなかったところ、ギリギリで入れられて、いまでは宿の自慢の一つになりました。
━━ビジコンの賞金も、この家の改修に役立てられたとか。
真沙美:そうです!かまどの煙突代として、使わせていただきました。「ビジコン」への参加は、私たちのビジネスプランを整理する機会となっただけでなく、賞金もいただけて、とてもありがたかったです。
貴重な地域食材の魅力を引き出し、活かしきる「南信州ガストロノミー」
━━では改めて、事業についてのご説明をお願いします。
小池:主となる事業は、「食と体験を堪能できる宿泊施設」です。宿泊施設のなかでも、この地域の資源を感じる田舎暮らしの擬似体験や、昔ながらのかまどを使ったごはんづくりなど「体験」を盛り込んだご家族でも楽しめるプランと、私が提供する「南信州ガストロノミ―」を味わっていただく料理プランという2つの異なるプランを軸にしています。体験は主に妻、料理は私という担当分けです。
そして、お料理を気軽に楽しみたいお客さまを迎える「新島食堂」としては、予約制のランチや夜のコース料理のほか、地元のグループさんのご相談に応じて居酒屋風メニューを提供することもありますよ。
━━なんと、ガストロノミー(※)から居酒屋風まで。その柔軟さは、料理の実力があるからこそですね。1つの場で、価格帯も体験の内容も多様なプランが用意されているというのもユニークです。
※ガストロノミー:食事全体を文化芸術の領域にまで高めた食体験のこと
小池:.「こういう料理しかつくらない」という気持ちはないんです。どんな料理であれ、つくることが好きなので。それに、こういう小さな地域なので、みなさん一人ひとりの声も大切にしたいと思っています。
せっかくご予約いただいてコース料理を楽しみにいらっしゃるみなさんには、特別な体験をしていただきたい。身近な料理だけれど見た目も斬新な「彩りいなり寿司」も、そんな発想から生まれました。
真沙美:ただ、想定外のこともあって。地域の方が気軽に来られるようにと設定した月曜日・火曜日のランチですが、はじめてみると意外にも、地域で要望が多かったのは夜。ランチは少し遠くから「私、こんな場所知っているよ」という感じでご友人を誘っていらしてくださる方が多い印象です。こうした状況もみながら、徐々に内容をブラッシュアップしていく予定です。
━━「南信州ガストロノミー」のコースは、めずらしい食材に事欠かないでしょうね。
小池:そうですね、山菜も川魚もきのこも、ここは本当に豊富です。以前、天竜峡の宿「峡泉」で料理人をしていたときも地のものは使っていましたが、私はいつも電話一本で食材をお願いして作る側。ここでは実際に山菜を採ることもできますし、山を知り尽くした方との貴重な出会いもありました。「峡泉」の時代から私の料理を贔屓にしてくださるお客さまにも、喜んでいただいています。
小池:たとえば、古来から不老不死の食物とも言われている高級食材「イワタケ」も、この地ではあちこちに生えているようで。いつもお世話になっている猟師さんが、お客さまの予約があることを伝えると「これ出してあげて」って、先日も持ってきてくれたんです。その方が仕留めるジビエは処理が美しくて本当においしい。そのおいしさを多くの方に知っていただけるように、「ジビエの宿」としての認知を広めていきたいという目標ができました。
食にも自然にも、人にも恵まれて。「体験の宿」は、子育てでも好環境
━━:真沙美さんは、地域おこし協力隊として移住されていたんですよね。
真沙美:そうですね、東京で自然教育系のボランティアをしていたときに、大学の先生と知り合い、この場所での地域おこし協力隊のお仕事を紹介してもらったのがきっかけで。とくに、東京から出たいなどの気持ちがあったわけではないのですが、ご縁ですね。
━━そんな真沙美さんが提案する「体験プラン」は、どのようなものなのでしょう。
真沙美:基本としているのは、この家にもともとあったかまどでご飯を炊く体験と、炊いたご飯で五平餅を作るというものですね。遠山郷独特のくるみ味噌なので、そのクルミ味噌をつけて囲炉裏で焼いて食べる、という体験をしていただきます。
そのほかは、季節や天候などの状況に合わせて、お客さまに寄り添ったプランを毎回調整しながら組み立ています。夏だったら畑で野菜を収穫して料理を作ってみたり、夏に海外からのお客さまがいらしたときは「日本文化を体験したい」ということだったので、竹を切ってきてそうめん流しをしたり、スイカ割をしてみたりすごい満足して帰られました。ご主人が日本食が好きだということだったので、天ぷらを衣付けから一緒に体験もしていただきました。
━━それは、贅沢ですね・・・。
真沙美:「体験」を求めてくださっているので、その気持ちに寄り添いながら、家族のように一緒に時間を過ごすことがおもてなしだと考えています。小さな子がいたら、一緒に川に遊びに行ったり。うちの子もついていって、言葉は通じなかったけど、いつの間にか一緒に遊んでいました。言葉がなくてもこれだけ通じ合えるんだなって感じましたね。
━━小池さんのお子さんにとっても、この山間地域にいながら広い世界と出会えるというのは、恵まれた環境かもしれませんね。
真沙美:はい。自然にも食にも、人間関係にも恵まれて。子育てにも最適な環境だと思っています。
━━ちなみに、海外からのお客さまは、ここをどのように知ったのですか?
真沙美:オランダの方だったのですが、Airbnb(エアビーアンドビー)から予約をいただきました。「食、食体験、自然」というキーワードででヒットしたそうで。私たちのコンセプトである「食と体験宿」っていう部分で見つけてくださって、すごく嬉しかったですね。
━━:起業をすると利益を追求するあまり「量を受け入れて」、などと考えてしまう部分もありますが、展開は広げつつもペースを守りながら取り組んでいらっしゃるのが伝わってきます。
小池:もちろん、二人だけで回していますので、一人でいるときにさまざま対応しなければならないなど問題点もあります。でも、それこそ私も居酒屋から大きなホテルの厨房、そして峡泉のような客数を絞った宿泊者への料理提供も経験したうえで、「お客さまに寄り添い、向き合ったおもてなし」が、一番やりたいことだと気づくことができました。妻と出会ったことで、それを形にすることができたと思っています。
いま、ここにある文化や人の営みを大切に
━━通常の地域おこし協力隊任期である3年が過ぎた今も、地域おこし協力隊としての活動が続いているとか。
真沙美:そうなんです。私の場合はイレギュラーで、産休やコロナでの活動休止期間があったので、いまも協力隊として、上村のまちづくり委員会で運営している体験プログラムの事務局をしたり、関係人口創出のために味噌づくりプロジェクトや婚活プロジェクトの企画運営も行っています。
真沙美さんが体験プログラムガイドを務める「遠山郷自然とあそぼう!」HP
━━任務とはいえ、お宿も切り盛りしながら、大忙しですね!
真沙美:そうかもしれません(笑)。でも、こういうことは意外と地域のみなさんには伝わりづらいと考えていて、地域おこし協力隊に就任したときから月1回、活動報告を新聞のようにまとめて発行し、回覧板に入れてみなさんに見ていただいているんです。回覧板て、意外とよく見てもらえるメディアなので、地域の方にお店などで会うと「娘さん大きくなったね」とか「読んでるよ、頑張っとるなあ」って声をかけてもらえるので、ああ、やっていてよかったな、と思うんです。
━━このお宿の開業のときも多くの方が手伝ってくださったとのことでしたが、その理由がよくわかりますね。
小池:飯田市出身の自分さえ驚くくらい、彼女は出会ったときから地域にとけこんでいて、「まーみん」の愛称で、本当に幅広い世代にかわいがってもらっていて。彼女といっしょならこの地域でやっていける、と、決意につながる勇気のようなものをもらいました。
━━開業から1年経ちましたが、お二人はこれからどのようにこの場所を生かしていきたいですか。
真沙美:じつは、もうすぐ出産を控えているので、この冬はお休みになる予定なんです。あたたかくなったら、さらに新しい「まごころ」と「新島食堂」として、皆さんをお迎えしたいと思っています。
━━それは、おめでとうございます!
小池:ありがとうございます。体が無理できない時期は割り切って、自分は外で働き、間の時間で次のシーズンに備えた調整も行っていきたいと考えています。料理としては、とくに遠山郷のジビエを盛り上げていけるように、力を入れて準備を進めていきたいですね。
真沙美:個人的には、子育て世代に自然の中での子育てを魅力に思ってもらって、関係人口を増やしたり、移住する方が現れたらと思いますし、子育て世代じゃなくても農業や自然などを通じて、もっともっとこの場所を身近に感じてもらえるように体験を継続して行っていきたいです。いま、ここにある文化や人の営みを大切にしながら、この場所の魅力を伝えていきたいと思っています。
━━ありがとうございました。
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