長野県飯田市松尾にて、2005年より美容室を営む「ヘアメイクY’z」。オーナーの高橋由紀さんは、自身や家族の入院、コロナ禍による移動制限などをきっかけに、「飯田下伊那地域でも、病気療養中の抜け毛の悩みに応えられるように」と、事業の機能拡大を決意。がんをはじめとする病気の治療や脱毛症など、幅広い抜け毛の悩みに寄り添うウイッグ提供のサービスをスタートさせました。その熱意と展望が評価され、「令和5年度飯田市起業家ビジネスプランコンペティション」にみごと入賞。「治療中の人にも、髪の不安から治療をためらう人にも、ウイッグという選択肢は豊富にあることを伝えたい」と語る高橋さんに、詳しく話を聞きました。
サロンの経験と、「医療美容師」の知識で、がん闘病時にも寄り添うウイッグを│完全予約制ヘアメイクY’z(長野県飯田市松尾)
通常営業は美容室。希望に応じてウイッグ相談のプライベート空間に
━━はじめてお邪魔しました。ふだんは美容室ですので当然かもしれませんが、明るい店内の雰囲気に癒されますね。
高橋由紀さん(以下、高橋) ありがとうございます。ウイッグ相談時、開放的な雰囲気が好きな方はこのままの店内で。広いことに不安を感じる方はパーテーションを下ろして、あえて空間を狭められるようにしているんです。こちらのロールカーテンは、今回の飯田市起業家ビジネスプランコンペティション(以下、ビジコン)の起業奨励金で購入したものの一つです。
完全予約制のプライベートサロンにしているので他のお客さまと会うことはないのですが、それでも配慮を重ねて、安心できる空間でお話ができるように工夫しています。
━━そしてお店のカウンター横のショーケースには、さまざまなウイッグが並んでいます。
高橋 はい、このケースと見本のウイッグも、ビジコンの起業奨励金が役立てられています。やはり実際に触れていただかないとイメージが湧かないので、見本を置けてとてもありがたいんです。そして、一般のお客さま、とくに子どもさんが怖がることがあるので、ショーケースに入れられたことも、助かっています。
ウイッグは必要なときに奥から出してくる、ということもできるんですが、がん治療や投薬などによる抜け毛は、誰にでも起こりうること。いつか、お客さまご自身や身近な方がそのような状況になったとき「Y’zさんにはウイッグがあったな、相談ができるって言っていたな」って、思い出していただくためにも、ここに置いておきたいんです。
━━たしかに、美容室に通う延長線上で、髪の悩みとして相談できるのがありがたいですね。
高橋 そうなんです。本来、同じ髪のことですが、通常の美容室では医療用ウイッグは取り扱っているお店が比較的少ないのが現状です。髪があるときは美容室に通うのに、髪を失うと途端に、慣れないウイッグショップを訪ねなければならないのが実情です。その矛盾というか、壁のようなものをできるだけなくして、安心して相談していただけたらと思っています。
「母が抜け毛の不安から、治療を悩んでいるんです」。そんな声に突き動かされて
━━他店勤務も含めると、もう35年以上美容師として経験を重ねている高橋さんですが、今回のサービス開始の決断は、個人的な経験が大きなきっかけになったとか。
高橋 はい。私がある病気で入院したときに、同じ部屋の方に「美容師なんです」と話したら、治療による抜け毛の悩みがたくさん話題になったんです。「どこに相談したら良いのかわからない」とか、「医療用ウイッグがあるのは知っているけれど、高そうだから手が出せない」とか。ああ、「髪の悩み」には、美容室が通常扱うもの以外にもこういうものもあるんだなと、深く実感したできごとでした。
他にも、「『毛が抜けるのが嫌だから』という理由で、母ががん治療を悩んでいるんです」というお話を、サロンのお客さまから聞いたこともありました。
━━がんが進行し命に危険が及ぶことよりも、いま髪の毛を失うことのほうを苦痛と感じていらっしゃる……。
高橋 はい。もちろん、男女問わず、毛髪の有無に関わらず、あらゆる髪の状態が受け入れられる社会になることが理想ですし、めざしたい姿ではあります。けれど現状として、とくに女性にとって「髪を失う」ということがどれほどの不安につながるものなのかを、考えさせられたできごとでした。
そんな折、コロナ禍に突入し、長野県でも移動制限が出されました。そのころには、県内に医療美容師として活動しているお店がたった3軒しかないことを知りました。
その事実に、「飯田下伊那で悩みを抱える人はきっと、相談に行けなくて困っているだろうな」と感じて。実際に、お客さまからも「良いウイッグを紹介してもらえないか」と相談を受けていたんです。
もちろん、今の時代インターネットで調べることはできるけれど、自分に合ったウイッグは、やっぱり実際に触れないとわからないですよね。そこで、まずは首都圏のウイッグ取り扱い会社に、うちで取り扱いできないかと問い合わせてみました。すると、「新幹線の通っている長野市や上田市、佐久方面ならサポートに通えるので取引できるけれど、南信州は遠いので難しい」と、断られてしまったんです。
━━なんと、それはショックですね……。
高橋 そう、でもよく考えたら、一社だけと取引をするよりも、さまざまなタイプのウイッグをお客さまの希望に合わせて提案できる方がここに合っているかもしれない、とも考えて。「この土地にないならば、私がやろう」と、決意しました。
数千円のものでも、大丈夫。あえて医療用だけに絞らず、希望に応じた幅広い選択肢を提案
━━先ほども「医療用ウイッグは高価そう」と不安に思われる方の話が出ましたが、私自身にもそのようなイメージがあります。そもそも、医療用ウイッグとはどのようなものなのでしょうか。
高橋 医療用ウイッグとは、主に抗がん剤治療中の方や脱毛症の方に使用していただくことを想定してつくられたウイッグのこと。通気性がよくサイズ調節ができて、軽さにも配慮してつくられているものが多いですね。たしかに、高価な医療用ウイッグのなかには30万円程度するものもあります。けれど、病気治療中の方が全員それを使わなければいけないということではもちろんありません。予算や使い方、なによりご本人がなじむ感覚を大切に、現在7社のウイッグを取り扱い、さまざまなかたちを提案しています。
━━そもそも価格の違いは、どうして生まれるのでしょう?
高橋 大きく分けて、毛と裏地の素材と植え方などですね。安価なものは、毛が列になっていて、それが帽子のような土台に縫い付けられています。一方、高額なものになってくると、人間の頭髪に近いかたちで、つむじを中心に毛が植え付けられているんですね。すると、髪の自然な「分け目」をつくることも可能ですし、なにより自然な「おくれげ」をつくりやすいんです。
━━なるほど、たしかに人間と同じような毛の生え方のウイッグをつくるのは、それだけでひと手間ですね。あとはやはり、人毛を使ったものが最高級、なのでしょうか。
高橋 たしかに、人毛を使ったものは高価になりますが、こだわらなくてよいと、私は思っています。乾きやすい化繊を組み合わせたものもお手入れしやすく、軽いですし、湿気の影響を受けにくく髪もうねりにくい。そのような特徴も含めカウンセリングの際にお伝えしています。
そもそも、たとえばがん治療であれば、終了すれば次第に髪は生えてきます。どれくらいの期間、ウイッグを使用するのかによっても、かけられる予算の感覚は変わってきますよね。
また、さきほど「安価なものは分け目が不自然」とお話しましたが、上から帽子をかぶれば、まったく問題ない場合も多いでしょう。
とくにこの地域は車社会だから、移動時の他人の視線を考えなくても良い方も多い。「駐車場に車を止めて、お店で買い物をする、その時間だけ毛髪をケアできれば」という方に、何十万円もするウイッグが必ずしも必要とは限りません。そんなポイントも、ビジコンに参加する際に資料にまとめて、新たなお客さまへのご案内にも使っています。
高橋 そしてこれがポイントなのですが、いずれにしても選んでいただいたウイッグは、そのままではお渡しできかねます。その方のご希望を聞き似合わせてカットするんです。これがより自然にウイッグ生活を送るのに大切な事です。意外と、ウイッグのことを知らない美容師にはできないことなんです。
━━たしかに、そもそも植えられ方も微妙に違うから、人間の髪と同じ感覚ではカットできないんですね。
高橋 はい。もちろん美容師の技術を生かすことはできますし、人間の髪と同じように扱えるのですが、それなりの専門技術がいります。やはり違うものとして理解することも必要なんです。これまでのお客さまのなかには、ご自身で見つけた数千円のウイッグを持ち込まれた方もいらっしゃいますよ。その方が気に入るのがいちばんですので、そうしたご要望も受け付けています。
一般社団法人ランブス医療美容認定協会の認定証。「コロナ禍の影響で、オンラインの授業が増えたことで時間を取り、多くの勉強をする事ができました。いまも全国の医療美容師さんたちと、ひんぱんに情報交換ができています」
課題は収益性。それでも、失意の人に寄り添えるサロンでありたい
━━実際にこのサービスを開始してみて、いかがですか。
高橋 ありがたいことにビジコンでも賞をいただいたので、しっかり事業を固めていかなければと、責任を感じながら手探りで進めている状態です。プレゼンの際に審査員の方から質問を受けましたが、やはり課題は収益をどう確保するかということです。
正直、シンプルに美容室をしているだけのほうが収入は安定して見込めると思います。なぜならご予約いただいても体調不良でご来店キャンセルもあります。ウイッグはカットをしての納品をするまでに、ヒアリングやウイッグ選びなどの時間もかかり何度かご来店いただくことになります。そしてとてもデリケートな話ですし、治療過程における相談内容によっては お客様も当然落ち込むこともあります。その状態を少しでも軽減出来るようにアドバイスさせて頂くお時間がいります。
それでも、やっぱり求める方がいて、それを提供する場がこの地に少ないという状況を知っている以上、応えられる存在になれたらと思っています。
じつは、私の夫は書道家なのですが、夫がプレゼントした書の言葉の力(奇跡って起こすためにあるんだぞ)を支えに、末期がんの方が余命宣告よりも3年以上長生きされた方がいるんですね。そんなふうに、人の支えになれるようなサービスができたらと思っているんです。
高橋 先日は、「これからがん治療をはじめる父にウイッグをプレゼントしたい」と、相談にいらした方がいました。男性ウイッグついて私もしっかり調べて、喜んでいただけるようにと、いまご提案をしています。
━━現在は、LINEでも相談を受け付けられているとか。
高橋 はい。パソコンがとっても苦手なので、プレゼン資料はひと苦労なのですが(笑)、LINEはどうにか使いながら、気軽にご相談いただけるようにと思っています。
━━最後に、これからの目標を教えてください。
高橋 まだ、はじめたばかりですので、まずは一人でも多くの方に知っていただくのが目標です。同時に、ウイッグの知識や技術も高めながら、お一人おひとりの異なる状況に合ったご提案ができるように、努めていきたいです。
━━ありがとうございました。